文字を覚えたての子が父親に手紙を書く。早く読んでもらいたくて、せかす。そんな家庭の情景が目に浮かぶ。<おとうさん/おてがみ/さめちゃうよ>
本紙「子どもの詩」に掲載された幼稚園年少組の言葉である。思いを伝えるのに、声や身ぶりだけでなく、字も使えるようになった。さぞ胸がわくわくしただろう。
(1月4日、読売新聞、「編集手帳」より)
覚えたての数少ない言葉を駆使しして、思いを表現する幼児。意図せぬ比喩表現とでも言うのでしょうか。やはり子どもは詩人です。
もう一つは、中学3年で来日した中国籍の少年の話です。
日本語が話せず、頼れる人もいない。学校がつまらなくなり退学。そして、夜の繁華街で遊ぶ日々。少年はとうとう暴行事件を起こした疑いで逮捕されます。
そんな少年を救ったのは、久里浜少年院でした。
久里浜少年院では、日本語の他、ゴミ出しのルールなど習慣や文化も学んでいきました。
将来、インターネットショッピングの店をもつという夢もできました。
─ 少年院で言葉学び 光 ─
「日本語が分からず、何の目標も持てなかった」。もう一度、前を向けたのは、ここでようやく言葉を学んだからだった。「日本語を覚えれば、将来は変わっていくはず。だから、諦めずに勉強したい」。柔らかな日が差す教室で広げたノートには、覚え立ての日本語が並んでいた。
(1月8日、毎日新聞より)
言葉を学んだ時は違っても、言葉が人とつながる喜びや夢を与えてくれたことにちがいはありません。
いくら文章が達者になっても、初心を忘れてはならないと教えてくれた二つの記事でした。