隣のまちの図書館で、本の福袋の取り組みをしていました。本を袋で包み、中身が分からない状態で貸し出しています。どんな本が入っているかは、袋を開けてのお楽しみ、というものです。
全国的にもこのような取り組みが進んでいるようで、新聞の話題にもなっていました。
考えてみれば、子どもにとって本との出会いは、いつも福袋のようなものだ。たまたま家にあった本、学級文庫にあった本、友だちが貸してくれた本。何が出てくるか、どんな豊かさを与えてくれるのか、開いてみるまでは分からない。
偶然の出会いの面白さは、大人の読書も同じだろう。その場所は近所の図書館かもしれないし、旅先の書店かもしれない。今年はどんな本にめぐりあえるだろう。
(1月3日、朝日新聞「天声人語」)
「出会い」ということで、思い出す言葉があります。
灰谷健次郎さんの小説『天の瞳』の中の、倫太郎という子どもと、そのおじいちゃんのやりとりです。
「草の実はいっぱいあるし、子どもはいっぱいいるのに、この草の実は倫太郎に出合うた」
「なんでェ?」
と倫太郎はたずねた。
「なんでかは分からん。誰にも分からん。分かってしもうたら人は出会いを大事にせんようになる」
(灰谷健次郎『天の瞳 幼年編Ⅰ』より)
誰が、何が、これからの自分の人生に影響を与えるかは誰にも分かりません。もし、分かっていれば、「この出会いは大切な出会い」「この出会いは軽く流そう」なんて判断してしまうかもしれません。
でも、実際はそんなことはありません。私自身を振り返っても、最初は「何だ? この人。」と思っていた人が、自分の人生に大きな影響を与えたことも少なくありません。もちろん、本との出会いも同じです。
今日の記事が、私の101回目の記事です。
これまでの100回の間に、たくさんの出会いがありました。刺激的でした。
これからの100回には、どんな出会いが待っているのでしょう。
分からないから、楽しみです。