昨日読んだ『哀しい予感』に魅了され、「キッチン」「満月─キッチン2」を読んでいても、“哀しい予感”モードがまとわりついて離れませんでした。だからでしょうか。この連作は、大切な人の死がもたらす暗闇を歩んできたみかげと雄一の再生の物語でありながら、私は、再生よりも、この二つの物語の中にある“哀しい予感”の美しさに惹かれるのでした。
例えば、雄一の母・えり子(本当は男。だから正しくは雄一の父)が、亡くなる直前の妻を見舞う場面─。
“病室に、生きてるものがほしいの”
って妻がある日、言ったの。
生きて、太陽に関係がある、植物ね、植物がいいな。あまり細かく世話をしなくてよくって、とても大きい鉢を買って。ってね。日頃、あまり要求のない妻が甘えたものであたし嬉しくって花屋へとんでいった。男っぽかった私はまだベンジャミンとかさ、セントポーリアとか知らなくて、サボテンじゃ何だしねえって、パイナップルを買ったの。小さな実がついてて、わかりやすかったのね。抱えて病室に持ってったら、彼女は大喜びして何度もありがとうを言った。
一見、滑稽ささえ感じる場面なのに、そして、この物語には、もっと切なく美しい叙述があふれているのに、私の一番はここです。
それは、おそらく先の長くない彼女の最後の「生」を感じるから。その姿を見ているえり子さんも、まもなく消えていく妻の「生」のはかなさを感じていると思うから。つまり、“哀しい予感”をありありと感じる場面だから。
私は、『哀しい予感』も、『キッチン』も、20代のころに一度読んでいました。しかし、その頃は、こんなにこれらの作品に惹かれなかった。
私がセンチメンタルに少女化しているのか、それとも哀愁の分かる男に成長したのか。願わくば、後者であってほしいのですが・・・。