弥生は、忘れていた過去を思い出しはじめます。
家族で最後にドライブに行った日のこと。その途中、事故に遭い、お父さんとお母さんを失ってしまったこと。
そして、その前日の出来事も。
母が(「お父さんは旅行の買い出しに行った」と)言っても私は喜べず、はやくかえってこないかなあ、と言いながらなぜか涙ぐんだ。その予感はその時の、秋の夕暮れにとてもよく似ていた。胸の奥まで西陽が差し込んでくるようだった。
「あら、何を泣いているの、この子は。」
母は自分も泣き出しそうな瞳をして、私のほほを両手で包み込んだ。ますます熱い涙が止まらなくなり、私はしゃくりあげた。
(吉本ばなな、『哀しい予感』)
幸せがいっぱいだと、それを失う不安がよぎることがあります。
子どもの感受性がそうさせるのかもしれません。
大人は、失う経験を重ねてきたから、そう感じるのかもしれません。
夕暮れは、だれにもそんなもの悲しさを呼び起こすのでしょうか。
以前、『日の名残り』(カズオ・イシグロ)を読み、「前向きな気持ちで、夕暮れを楽しむ」というようなことをブログに記しました。→(明日、もっといい日になれ!)
でもやっぱり夕暮れは、寂しく、せつない。そこからどうしても抜け出せないときもあります。
『哀しい予感』は、そんな気持ちにずっと浸っていたい、浸っていてもいいんだ、という気持ちにさせる物語でした。