悲劇の予兆を伝える黒い枕。
美しい夢を見せる白い枕。
二つの枕が見せる夢の物語。
その夢の中の一場面です。
ふと、恋人が切なげに呟いた。
「あなたが、こないんじゃないかと思って。もうこれきりになってしまうんじゃないかって」
眶(まぶち)には涙がうかんでいた。文明はこんなにも美しい不安さえ、恋人たちから取り上げてしまった。
それほど昔ではなく、僕らが恋をした若い時分には、愛し合えば愛し合うほど、そうした不安に苛まれたものだった。明日の約束をかわして別れても、今生の別れのような気がしてならなかったし、30分も待ち呆けを食らわされれば、不安を通り越して絶望さえした。
そうした不安を抱えていてこそ恋愛は真摯で健全であったし、悲劇の予感があってこそ、やはり人生も真摯で健全だったのだと思う。
(浅田次郎『ブラック オア ホワイト』より)
「黒」と「白」の二つの別々の夢を描きつつ、現実の世に存在する二つの様相を暗示しています。黒(悲劇)も白(美しさ)も人生に欠かせないものでありながら、そのギャップや悲劇の重みに耐えられなくなった時、夢の世界に入っていく人間の姿を描いた小説です。
現代社会の生きづらさ、人間の弱さ、現実と夢が織りなす不思議さ…。現実から逃避する現代人への警鐘なのか、夢という居場所を得た安息の物語なのか。読みようによって、いくつも訴えかけてくるものがある作品です。
↑朝の散歩で見つけた黒と白。これを見て、「ブラック オア ホワイト」を読み返してみたくなったのでした。