どん底を超えてこそ見える美しさ ─『限りなく透明に近いブルー』(村上龍)─ | 出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

「披沙揀金」―砂をより分けて金を取り出す、の意。
日常出会う砂金のような言葉たちを集めました。

 分かるか、と村上龍の作品の登場人物たちは常に問いかけてくる。分かるか、おれの言いたいことが分かるか、イメージできるか、と、熱っぽいけれど乾いた調子で目を見据えて。(綿矢りささんの本書解説より)

 

 私には、分からない。分かりたくない。おぞましいほどの暴力表現、性的な描写、ドラッグ。あまりに暗く残酷な世界─。最初の50ページほどを読んだところで、「もうこれ以上読めない、読みたくない」という気持ちになりました。それでも、「芥川賞史上累計発行部数第1位」という帯の文句を信じ、きっとこのまま終わるはずはない、と祈りながら、何とか読み進めました。

 そして、小説の最後に見た小さな希望。廃人寸前のような主人公・リュウが草むらに倒れた時に見た、希望の萌芽 ─「限りなく透明に近いブルー」。

 

 血を縁に残したガラスの破片は夜明けの空気に染まりながら透明に近い。

 限りなく透明に近いブルーだ。僕は立ち上がり、自分のアパートに向かって歩きながら、このガラスみたいになりたいと思った。

 

 破片のごとく小さく、ガラスのように脆い。完全な美しさを携えているわけではなく、血に縁どられている。この小説の題名ともなっている「限りなく透明に近いブルー」は、強烈なインパクトを与えられているわけではなく、ほんのわずかな希望としか見えません。それでも、ここまで描かれてきた暗鬱な表現の中で、初めて見せた美しさの表現です。わずかでも、確かな希望です。小説最後の2ページで、少しだけ救われたような気持ちになれました。

 

 分かるか、こんな小さな美しさが分かるか、君たちは安全できれいな世の中を生きているが、この美しさを忘れていないか、と村上龍さんが語りかけているように感じました。