ああ、と、その時にわかった。
これはたぶん、俺が生まれたその頃にあった光景だ。
俺は今、伸太(※「俺」の幼子)を通じて、自分が生まれたその頃の様子を、数十年の時を経て、わが子に見せてもらっているのだ。
(辻村深月『家族シアター』より)
昨日、今日と、高2の娘のバレーボールの試合の応援に行ってきました。春高バレーの県予選です。残念ながら、ベスト8どまりでしたが、それでも、チームとしては上出来だったと思います。
娘は、高校になってバレーを始めました。周りはみんな経験者ばかり。それでも何とか試合に出してもらえるようになった娘の姿を見ながら、私の高校時代を思い出しました。
私も、高校になってバスケットボールを始めました。周りは経験者ばかり。ルールさえも十分には分からず、一つ一つの動きも、周りは当然のように知っているなか、私一人、見よう見まねで覚えていくしかありませんでした。それでも、プレーでチームに貢献することは最後までできず、楽しい思い出よりも、つらいこと、悔しいことの方が多かったように思います。ただ一生懸命することだけが、周りに認めてもらえるたった一つの手段でした。
だから、娘が高校に入学して「バレーをする」と言った時、口には出さないものの、「やめておけばいいのに・・・。」と思っていました。
1年生のころは、土日ごとにいろいろな学校に練習試合に行くため、よく送り迎えをしていました。帰りの車で「今日も試合出れんかった・・・」という娘の声を聞くたび、心の中では、「やっぱり高校デビューじゃ無理なんじゃないの?」と思ったり、「練習試合なんだから、ちょっとでも試合に出してくれればいいのに。」と顧問の先生を恨んだりしていました。
でも、「やめたい」とも「しんどい」とも言わず、練習も休まずにバレーを続ける娘を見て、(ああ、そう言えば、自分だってそうだったなあ。「無理」とか顧問の先生を恨んだりとか、そんな感情はもたなかったなあ。)と高校生の頃の自分を思い返すのでした。
娘の部活も、あと半年ほど。
数十年の時を経たシアターを、一瞬一瞬を大切にしながら観ていきたいと思います。