昨日、「とうちゃん」のすごさを描いた絵本を紹介しました。
今日、手にした「うらぼんえ」には、最高の「おじいちゃん」が出てきます。
幼い頃両親に捨てられ、祖父母に育てられたちえ子。その祖父母も今はもう亡くなっています。
その後、結婚するものの、夫は外に女を作り、妊娠させてしまいます。ちえ子に何一つ悪いところはないものの「子どもがいない」という理由で、夫の実家の新盆の日に、舅や義兄から離縁を持ち出されます。
味方になってくれる身内のいない孤立無援の状況で、一人、悔しさをかみしめるちえ子。
そこに現れたのが、ちえ子の「おじいちゃん」でした。
ちえ子はまじまじと、迎え火に照らしあげられた祖父の姿を見た。
夢でもいい。いや、きっとそうにはちがいないけれど。
「おじいちゃん」
祖父はにっこりと振り返った。貧乏でお酒が好きで、読み書きも満足にはできなかったけれど、曲がったことの大嫌いだった祖父の笑顔はやっぱり最高だ。
「なにめそめそしてやがる。じいちゃんが来たからにゃ、もうでえじょうぶだ。泣くんじゃねえ」
しかし、結局、ちえ子と夫とは別れざるを得ない状況に。
祖父は、口を慄わせ、涙をこぼします。
「ねえ、教えてよおじいちゃん。どうして私が別れなきゃいけないの」
祖父は言いためらった。痩せた咽が、ちえ子の耳元で凩のようになった。
「親のいねえ不憫な子供を、作っちゃなんねえ。そんなことァ、じいちゃんが一番よく知ってる」
返す言葉が見つからずに、ちえ子は祖父の胸の中で泣いた。
祖父はちえ子の肩を起こすと、昔仕事の帰りに必ずそうしてくれたように、大きな掌で頭を撫でてくれた。
私がまだ幼かった時、大好きな祖父の胡坐の中によく潜り込んでいました。
両親が、「おじいちゃんはしんどいんだから、あんまりくっついたらいかんよ。」と言うので、私はおじいちゃんを見上げながら、「おじいちゃん。しんどくないよな。」と聞きました。おじいちゃんは、やさしくうなずいてくれたように覚えています。
私が母方の祖父との記憶で覚えているのは、このシーンだけです。たった一つだけだけれども、とてもあたたかい思い出です。
「鉄道員」にしても、「うらぼんえ」にしても、亡くなった娘やおじいちゃんが登場するという、現実にはありえない話なのに、鮮やかな現実感をもって、すっと心に沁みこんできます。それはきっと、読み手の心の中に間違いなく存在している「娘と過ごした時間」「おじいちゃんと過ごした時間」を思い出させてくれるものだからでしょう。