父の姿を追い続ける ─『あいたくなっちまったよ』(きむらゆういち)─ | 出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

「披沙揀金」―砂をより分けて金を取り出す、の意。
日常出会う砂金のような言葉たちを集めました。

 子ネズミをつかまえて食べようとするヤマネコ。

 そこに登場する子ネズミの「とうちゃん」。

 子ネズミは言います。

「とうちゃんが きたからには、もう へいきだ。さあ、とうちゃん、たのんだよ」

 

 本当は、ネズミがヤマネコに敵うはずがありません。 

 「とうちゃん」はぶるぶるふるえています。

 それでも、「とうちゃん」をひたすら信じる子ネズミの姿、そして息子に応えようとする「とうちゃん」の姿を見て、ヤマネコは「とうちゃん」に花を持たせるのです。

 

 逃げていくヤマネコを見て、子ネズミは喜びの声をあげます。

「うわあい、やっぱり うちの とうちゃんは すごいや。せかいいちだね」

    (きむらゆういち、『あいたくなっちまったよ』、ポプラ社)

 

 

 幼い頃の私にとっても、父はヒーローでした。

 自分が途中で作れなくなったプラモデルを、もう一度分解して作り直してくれる。

 キャッチボールは、どんなボールでも取ってくれる。

 夏休みの習字の宿題も、図画も、工作も、感想文も、父が手伝ってくれるとすばらしい作品に仕上がっていく。

 父に知らないこと、できないことはないと思っていました。

 

 それから私も大人になり、そのころの父の年齢を超え、人には知らないことも、できないこともあると分かりました。

 父はすでに80歳を超え、当然、昔のような溌剌さはありません。最近は特に老いを感じるようになりました。

 

 それでも、なぜか私にとって父は、「知らないこと、できないことのない人」なのです。

 

 私がずっと、父を理想として追い続けるように、絵本の中の子ネズミも、「とうちゃんのようになるんだ!」と思いながら、大人になっていくのでしょう。