口下手だから、手紙に書く。
言葉にできないことを、ピアノで伝える。
他に表現手段はないけれども、ダンスでなら自分の思いを表現できる。
人は、文章で、音楽で、身体で、自分を伝え、表現しようとします。手段は様々ですが、共通するのは、そこには表現者の思いが込められているということです。人は、だれかに自分のことを分かってほしいと願うもの。その強い思いに共感できた時、受け手はその表現に感動するのでしょう。
朝井まかてさんの小説『眩(くらら)』は、絵にかけた一人の女性の生涯を描いています。
主人公は、葛飾北斎の娘・葛飾応為。彼女もまた、「絵」という表現手段しか持ち得ず、筆に思いを託して描き続けました。
絵なら、己がかつて一度も持ち合わせたことのなかった人生だって描けるのだ。花魁の豪奢な美しさや女芸者の婀娜(あだ)、町娘の可憐さ、どれもあたしには縁のない代物だけれど、筆でなら描ける。
この本の表紙には、応為の作品「吉原格子先之図(よりわらこうしさきのず)」が載せられています。
私は、本を買う時、確かにこの絵を目にしていたはずなのですが、さほど印象に残っていませんでした。しかし、読み終えた後に、再度この表紙の絵を見ると、明らかに最初とは違って見えました。「命が見せる束の間の賑わい」、それを託した「光と影」がそこにありました。