■永遠に解決し続ける

アルフレッド・アドラーは、

愛の構造は課題であり、

発展の終止符ではないため、

それを永遠なものとするには

究極的な決心をする必要がある

と指摘しています。

 

交友や仕事の課題でもそうですが、

愛の課題には終わりがありません。

 

ひとつ終えたら、それでよし、

ではないのです。

 

ひとつ解決したら、

すぐに次の課題に直面します。

 

解決→直面→解決」が

繰り返されていくのです。

 

恋愛や結婚の相手との課題を

相互献身によって解決へと導くと、

ひと段落します。

 

解決できればもちろん、

共同体感覚も発達しますから、

その分、しあわせを感じます。

 

映画のようにそこで終われば

それ以上の努力は必要ないのですが、

現実にはそこで終わらずに、

すぐに次の課題に直面し、

その課題の解決に取り組むことになります。

 

愛を永遠なものとするには、

この「解決→直面→解決」も

永遠に続くことを受け入れる決心

することができれば、実現できる、

というわけです。

 

恋人または配偶者との愛を永遠に誓う、

ということは、

その人とともに直面し続ける課題を

解決し続けることを決心する

ということです。

 

その決心が続く限り、

その愛は永遠なものとなります。

 

交友や仕事の課題では、

相手や状況が変われば、

同じ人を相手にした課題では

なくなることもありますが、

愛の課題ではずっと同じ相手になり、

そこが違う点です。

 

アドラーが「究極的な決心」と

説明している理由を

そこに察することができます。

 

■決心は人類の幸福に影響する

またアドラーは、

そのような決心は、

子どもと人類の幸福への教育に

永遠に影響する、と指摘しています。

 

これは恋人よりも配偶者に

向けられていると思いますが、

夫婦としてともに直面し続ける課題を

永遠に解決し続ける決心をしていることが、

「教育」に影響する、ということです。

 

「子どもと人類」としているのは、

子どもを適切に教育できれば、

その子どもが接する人々にも

よい影響を与えることができ、

その影響を受けた人々が

さらにその周囲の人々によい影響

与えていくから、と思われます。

 

そうして

影響が無限に広がっていくことから、

永遠に影響を及ぼす」と

指摘しているのだと考えられます。

 

もちろん、

親である夫婦が

子どもに適切な教育ができなければ、

自分たち夫婦以外の誰かが

その子どもに適切な教育をすること

または、

その子どもが自分自身に

適切な教育をすること

依存することになります。

 

アドラーはこれを指して、

そのような状況は、

我々がこの地球に永遠に存在できなく

なってしまうきっかけになりうる

と指摘しています。

 

極端な例をあげると、

共同体感覚の不足により臆病な人が

地球を滅ぼすようなことをしたら

我々人類も滅びてしまうわけで、

そのきっかけとなる共同体感覚の不足は、

親が適切な教育ができなかったためであり、

親である夫婦の愛の課題についての

究極的な決心ができなかったこと

起因している、ということです。

 

なお、教育とは、

他者への関心」が高まるように

はたらきかけることです。

 

「相手より自分優先」な心から

自分より相手優先」な心となれるように

支援していくことです。

 

そうすることで他者貢献の機会を得て、

実際に他者貢献できれば

共同体感覚が高まります。

 

共同体感覚とは、端的にいえば、

自分の居場所がある感覚です。

 

共同体感覚が高まると、

自然と社会適応能力が高まります。

 

社会適応能力が高まる人は、

社会的に有用な人となっていくのです。

 

愛の課題への取り組みは、

こうして「永遠」へと影響するほど

重要なものなのです。

 

適切に取り組むことができれば、

その恩恵は無限に広がる、ともいえます。

 

 

 

 

お読みいただき、

ありがとうございます。

 

プロコーチ11年目、常楽でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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