今日は、

不安を察知したときに始まること

について書きました。

 

不安を感じて

適切に対処することで

自分を守ることが始まり、

さらには、

感じるしあわせを増やすことが

始まります。

 

不安を感じたら

「もうおしまいだ」ではなく、

始まっているのです。

 

目次

・危険を察知できた自分

・金属探知機と不安探知機は違う

・不安の誤った対処法

・誤った対処では生きづらさが増えてしまう

・自分を守ること、しあわせ増やすことが始まる

 

■危険を察知できた自分

不安を感じるのは、

そこに「危険な何か」を

感じたからです。

 

自分のすべての感覚を使って

その対象となっているものごとの中に

「危険な何か」を察知したから

不安を感じたのです。

 

不安を感じて反射的に

そんな自分を「ダメな自分」と

判断を下すのは早すぎます。

 

なぜなら、

危険を察知すれば誰でも

不安を感じることは

ごく自然なことだからです。

 

ごく自然なことが起きた自分は

何も悪いことはありません。

 

むしろ、

危険を察知した分だけ優秀

ともいえます。

 

■金属探知機と不安探知機は違う

不安を感じる自分が

金属探知機と違うのは、

客観的ではなく主観的であることです。

金属探知機は、
そこに金属がなければ
「そこに金属がある」と
いくら思ってみても反応はしません。

でも、

不安を感じる自分なら

「そこに危険がある」と

自分が思うだけで

「危険を察知した」となります。

 

つまり不安を感じる自分は、

そこに危険があるかないかを

自分で決めることができるのです。

 

不安を感じたら

この”主観的”ということを

忘れないようにしてください。

 

なぜなら、

危険がないのに

不安を感じているだけかも

しれないからです。

 

■不安の誤った対処法

不安が”主観的”であることは、

神経症などの

生きるのに役に立たない道へと

進むことに利用できてしまいます。

 

その典型的なものが

不安だからできない」です。

 

不安であることと、

着手するかどうかは

直接関係ありません。

 

直接関係ないものを

直接関係させることで

個人的利益を実現させようとすると

それは神経症的な行為となります。

 

すればするほど

生きづらさが増えてしまいますから、

やらない方が楽しく生きられます。

 

しかし、

「不安だからできない」と言っている人に

誰もそれをできるように

してあげられません。

 

その心理的な力学を利用することで

「それをやらない」を

実現できてしまうことがよくあるのです。

 

だから、

「不安だからできない」を使うことが

「それをやらない方法」として魅力的に

見えてしまったりするのです。

 

たいした努力は必要なく

「不安だからできない」と言い続ければ

「それをやらない」を実現できてしまいます。

 

心や身体が疲れていたりして

努力する気が起きないときなどは

魅力的に見えてしまうわけです。

 

■誤った対処では生きづらさが増えてしまう

不安を不安のままにしたいときは、

不安の正体を知る活動に

とても消極的になります。

 

反対をいえば

正体を知らない活動に

積極的になります。

 

その不安を感じる以外の場での

用事を増やして忙しくして

正体を知るヒマを自分に与えない、

とかです。

 

そうしてその場を

「不安だからできない」として

やり過ごせたとしても、

そこにある課題はそのままです。

 

そのため

その後にまた同じ課題に

必ず行きあたります。

 

同じ課題に行きあたって

また同じ「不安だからできない」を

使ってやりすごしたなら、

またいずれ同じ課題に行きあたります。

 

そうして無限ループすることになります。

 

 

不安を感じる対象は、

「どうでもいいもの」ではなく

「相応に重要なもの」です。

 

なぜなら、

心から「どうでもいいもの」と

感じることには

危険など感じることがないため、

不安になることがないからです。

 

つまり、

「不安だからできない」を使いたいときは、

そこに「相応に重要なもの」があるのです。

 

無限ループから抜けて

次のループへと上昇していくならば

その「相応に重要なもの」について

取り組むことです。

 

■自分を守ること、しあわせ増やすことが始まる

不安について取り組むときは、

まずその不安の正体を知ることです。

 

不安の正体を知る、とは、

その不安が何なのかを

よく観察して

自分に明確に説明できるようになる

ということです。

 

「何が自分に不安を感じさせているのか」

という問いに対して

明確に答えられるようになる、ともいえます。

 

不安は、

危険を察知していることでもありますが、

「相応に重要なこと」を察知している

ということでもあります。

 

その説明は、

他の誰かが理解する必要はなく、

自分だけが明確に理解できればよいのです。

 

なぜなら、

その対象について不安を感じているのは

他の誰かではなく自分だからです。

 

そこに他の誰かを

立ち入らせる必要は

ないのです。

 

そうして不安の正体がわかると、

まずそれが本当の危険なのか

わかります。

 

蛇がいる、と思って

不安を感じていたけど、

よく観察してみたら

それはおもちゃの蛇だった、

みたいな感じです。

 

でも反対に、

それが本当の蛇だったら、

観察したおかげで本当の蛇とわかり、

その危険に対して何ができるか」を

感じることができるようになります。

 

不安を感じているだけだったら、

蛇にかみつかれてしまったかもしれないけど、

不安の正体がわかったから

具体的な対策を講じることが

できるようになった、という感じです。

 

不安を察知したら、

自分を守ることが始まり、

感じるしあわせを増やすことが

始まるのです。

 

そして、そこでは、

他者との協力関係を大切にすることで、

感じるしあわせを増やしていけるのです。

 

 

 

 

お読みいただき、

ありがとうございます。

 

プロコーチ11年目、常楽でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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