■母親が生計を立てている家庭

アルフレッド・アドラーは、

”女性は劣った存在”という偏見を

説明する中で、

ある知能検査(いわゆるテスト)の

結果を例にあげています。

 

それは、

14~18歳の少女のグループが、

他の少年のグループなどの

どのグループよりも優秀だった、

というものでした。

 

調査してわかったのが、

その少女たちのほとんどが

母親が自立した仕事を持つ家庭の

出身者だったことです。

 

母親も、

もしくは、

母親が中心となって

家計を支えていた家庭では、

女性は”劣った存在”という偏見が

成立しないのです。

 

家の外で

いくら”女性は劣った存在”との

偏見にさらされたとしても、

家には有能な女性である母親が

現に生計を立てているので、

偏見を受け入れる必要を感じないのです。

 

まさにこの少女たちの

よい手本となっているのです。

 

それをアドラーは、

この少女たちは

偏見に接することがあっても、

その影響をほとんど受けずに

心自由に自立して成長できたのだ

と指摘しています。

 

■男性優位社会の証明という詭弁

アドラーは他の知能検査についても

言及しています。

 

それは、少年、少女は

どの教科に才能を示すか、

というものでした。

 

その結果は、

少年は、数学に才能を示し、

少女は、語学に才能を示した、

というものでした。

 

当時は語学よりも数学の方が

”男性の仕事”の役に立つとされていたので

少年が数学に才能を示したことを

引き合いに出して、

”男性は優秀であり、女性は劣っている”と

されていたようです。

 

しかし、

数学でも語学でも、

それぞれの目的において

”男性の仕事”でも、

そのように限定しない仕事でも

ちゃんと役に立つものです。

 

つまり、

語学に才能を示したからといって

”女性は劣った存在”を

証明したことにはならない、

ということです。

 

少年が数学に才能を示したから

”女性は劣った存在”である、とは、

男性優位社会の支持者が

男性優位を維持・強化するための

詭弁であり、

作り話にすぎないのです。

 

■価値は、性別ではなく目的による

”女性は劣った存在”という偏見は

誤った価値観であるわけですが、

それは、反対のことも言えます。

 

その反対のこととは、

”男性は劣った存在”という偏見

についてです。

 

優れた業績をあげた人がいるのは、

その人がその目的に対して

訓練をしたからであり、

男性だから、女性だから、という

性別に依存しているわけではありません。

 

文学、芸術、技術、医学、

その他の領域において、

あげた業績については

男性優位社会においての

男性があげた業績と

まったく同格である、ということです。

 

逆に見れば、

業績をあげていない女性もいれば

業績をあげていない男性だっています。

 

そのため、

”男性は劣った存在”との偏見を

主張することもできるし、

それは誤った価値観であるとも

主張することができるのです。

 

さらには、

優れたものは男性的で、

劣ったものは女性的である、

との偏見も、誤った価値観である

ともいえるのです。

 

つまりは、

性別で人の価値や優劣が

決まることはありえないのです

 

 

 

お読みいただき、

ありがとうございます。

 

プロコーチ10年目、常楽でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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