■ある少年の話

昔、ある少年がいました。

その少年は、
学校での成績が
なかなか伸びませんでした。

努力をしても
成果を得られない状況が続いたため、
この方面で他者より秀でることを
あきらめました。

そこで少年は、
学校においては怠け者となり、
学校の外では”盗み”をするように
なりました。

その”盗み”はうまくいき、
たくさんの成果を得ることが
できました。

つまり、
”盗み”においては
他者より秀でることが
できたのです。

”盗み”ですから当然、
誰も好評価をしないため、
少年は”盗み”の成果を
自慢するようになりました。

「どうだ、オレはすごいだろ?」
みたいに。

そう聞けば
警察に捕まるようなことをして
成果を上げているので、
「すごいね」と返ってきて
優越感を得られるわけです。

その後も、お金を盗むと
娼婦に花などの贈り物を
しました。

そして、ある日、
町で6頭立ての馬車を盗み
警察に捕まるまで
他者に自慢するかのように
町を乗り回していたそうです。

■安直な優越性の追求

強い劣等感を持つ人は
他者と競争する生き方
しがちです。

他者と競争する生き方をする人は
何かにおいて他者より秀でたいと
感じます。

なぜなら、
自分が他者より秀でている、と
感じられたときに
優越感を得られるからです。

その優越感を得られない限りは
常に抱えている強い劣等感を
感じ続けることになります。

少しでもその劣等感から
解放されるには、
他者より秀でることで
優越感を得るしかないと
考えるわけです。

こんな心理状況では
自分の関心は他者よりも
自分の利益にばかり向きます

下になってくれる他者がいないと
自分が上になれず、
他者はあくまでも自分が上になるための
存在であると見るために、
その他者の利益にまで
配慮することが難しくなるわけです。

逆に見れば
自分が上になることで精いっぱい、
自分が上になることしか
見えていない、ともいえます。

つまり、
強い劣等感を持つ人は
自分の利益のばかり関心が向くので
人生の有用でない面へと進みがち

というわけです。

自分の利益さえ得られれば満足なので
他者貢献活動をして貢献感を
得ようとは思わないのです。

他者の利益などどうでもよくなると
他者に迷惑がかかったとしても
自分の利益(優越感)さえ得られれば
満足できる、と思ってしまうのです。

上の少年は
はじめは学校の成績で
自分の利益(優越感)を
得ようとしました。

それは、やはり
他者に迷惑をかけない方が
善いことだと感じているからです。

しかし、
そこにある困難を克服できないので、

その困難の克服を今後も試みることと、
他者に迷惑をかけてでも
自分の利益(優越感)を
確実に得られることとを比べた時に、

困難克服よりも他者に迷惑をかけてでも
確実に優越感を得られる方が魅力的に
見えてしまったのです。

そうして安直な優越性の追求へと
踏み出してしまったわけです。

■援助がなかった

その少年は
人生の有用な面において
自分の利益(優越感)を
得ることについて援助があれば、
勇気を使ってそこにある困難に
立ち向かうことを
継続できたかもしれません。

でも、
そんな”勇気づけ”という
援助を受けられなかったために
自力で自分の利益(優越感)を
得ようとあれこれ考えた末に
なんとかみつけた
「利益を得られる方法」が”盗み”
という人生の有用でない面へと
進む方法だったわけです。

そして、
最初に持っていた強い劣等感は
”盗み”を繰り返すたびに
さらに強くなっていったと
考えられます。

■自慢したくなった理由

また、自分の成果が
他者に称賛されたり
好評価されると、
そこでもさらに優越感を
得ることができます。

でも、
”盗み”という他者貢献の反対
しているわけですから、
何もせずに称賛や好評価を
得ることはできませんので、
積極的に行動して他者に自分を
称賛させたり好評価させないと
優越感が得られません。

その積極的な行動が
「自慢する」だったわけです。

人生の有用でない面において
得られた優越感は一時的であり
消えていくものです。

そのため、欲しくなると
また「自慢する」を
する必要があります。

同じ内容では
同じくらいの称賛や好評価しか
得られません。

依存症のように
同じ程度の称賛や好評価を得ても
”落差”に慣れてしまって
優越感を得られなくなっていきます。

アルコールなら
飲む量を増やしていかないと
「飲んだ気がしない」となって
しまうように、
”盗み”によって得られる
優越感を増やすには
”落差”を増やすがごとくに
”盗み”の強度を上げる必要があります。

そうしてついには
6頭立ての馬車を盗むという
派手な行為に及んでしまったわけです。

■人生の有用な面へ進むために

人生の有用な面へと進むには
自分の関心を他者の関心事に
向ける必要があります


なぜなら、
人生の有用な面へ進むことは
他者貢献をすることであり、
そのためには、
貢献しようとする
相手にとっての利益とは何か
を知る必要があるからです。

関心が自分の利益ばかりに
向いていたら、
相手の利益とは何かを知ることは
できませんから。

そうして他者貢献活動をして
客観的な貢献感を得られると
共同体感覚が高まります。

共同体感覚とは
簡単にいうと
自分の居場所がある感覚」です。

自分の居場所があると
安心です。

いろんなことに
挑戦できると思えます。

自分の居場所がないと
負担できるリスクや
払える犠牲にも余裕はないので、
挑戦できることも少ないです。

しかし、
自分の居場所があると
負担できるリスクや
払える犠牲も
それなりに余裕があると思える(自信)ので、
挑戦できることもそれだけ多くなります。

つまり、
共同体感覚が高まっていけばいくほど
挑戦できることも増えていくわけです。

挑戦できることが増えていき、
実際に挑戦をしていくことで
自分の可能性は広がり、
思いも形になっていきます。

それは、
感じるしあわせが増えていく
ということです。






お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ10年目、常楽でした。





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