■発達しない、しにくい場合

アルフレッド・アドラー
個人心理学の鍵概念である
共同体感覚について次のように
言っています。

「勇気があり、自信があり、
リラックスしている人だけが
人生の有利な面からだけでなく、
困難からも利益を得ることができる。

(中略)

例外なく
すべての対人関係の問題である
人生のあらゆる課題に対して
準備ができているからである。」


つまり、
共同体感覚を発達させることで
自然と勇気と自信とリラックス
自然と兼ね備え、
簡単なことだけでなく
困難なことからも利益を
得られる
ようになります。

それは、
人生のあらゆる課題に
対処できるようになる、
ということです


なお、共同体感覚とは
端的に言えば
「自分の居場所がある感覚」です。

自分の居場所がある感覚を感じられると
安心しますし、困難に出会っても
くじけることなく克服を目指す力を
感じることができます。

そんな共同体感覚ですが、
親に他者への関心を持つよう
適切に援助を受けながら育ったならば、
自然と発達します。

しかし、発達しない、
もしくは発達しにくい場合も
あります。

それを
アドラーは3つ挙げています。

①劣等器官を持って生まれた場合
②甘やかされて育った場合
③憎まれて育った場合


■劣等器官を持って生まれた場合

劣等器官とは
身体に障害を持っていることです。

例えば、視力や聴力が
生まれながらに一般より弱い、とか、
胃腸などの内臓が生まれつき弱い、
とかです。

その子が自ら、自立を選ぶことで
その劣等器官について適切に補償して
育っていくことで共同体感覚は
発達していきます。

しかし、自立を選ばない子は
他者へ依存的になるので
共同体感覚は発達しなくなります。

なぜなら、共同体感覚は
他者への関心を持ち、
他者への貢献活動をして、
客観的な貢献感を得ることで
発達するからです。

自分の課題を
劣等器官を理由に
他者に肩代わりさせたり
他者に押し付けたりすれば
それは他者に自分へ
貢献させることになりますから
共同体感覚は発達しないわけです。


劣等器官を持った子どもは
劣等器官のない子どもよりも
関心が自分に向きやすくなります。

周囲の子どもは問題にならないことが
自分には問題になるることが
あるからです。

親が劣等器官を持った子どもの
関心を他者に向けようと
援助することは、
劣等器官のない子どもにするよりも
成果を上げるのは大変です。

援助する親自身の共同体感覚も
さらに発達させるように
取り組むことで、
やりやすくはなります。

そうでないと親は
「なんでこんなに頑張っているのに
成果があがらないんだ!」と
関心が自分に向いてしまうことに
なるからです。

また、自立しなかった事実を
子どもが成長して
認識するようになると、
そのことを他者に攻撃されるのではと
怖れる気持ちを持つこともあります。

その怖れを持つ必要はないと
体験する機会を持てるように
援助していくことも効果的です。

■甘やかされて育った場合

甘やかされて育つ、とは、
子の課題を親などの他者が
最初から肩代わりすることが
当然の状況で育つことです。

例えば、
「おなかがへった」と言うだけで
親が食べ物を出してくれるような
状況です。

「おなかがへった」とは
ただ状況を説明しているだけ
何の要求もしていません。

要求をしていないのに
要求まで読み込んで
食べ物を出してあげるのは
「要求する」という課題を
肩代わりしています


するとその子は
他のことも同じように
状況を説明すれば
親が自動的に理解・判断して
自分の欲を満たしてくれると
信じてしまいます。

こんな状況で育てば
関心は他者ではなく
自分に向くばかりです。

他者の関心事を知ろうとすることなく
自分の関心事を他者に伝えることに
力を注ぐようになります。

そうして伝えれば
その相手が理解・判断して
自分の欲を満たしてくれると
信じているからです。

あまりに幼い頃ならば
そういう状況も役に立ちますが
「要求する」をできるようになっても
甘やかし続けると、
関心を他者へ向けるのは
どんどん困難になっていきます。

それは共同体感覚が発達する機会が
ないに等しい状況です。

つまり、勇気を使うことも、
自信を使うことも、
リラックスすることも、
すべてが困難になってしまうわけです。

安心できないので
安心できるようになるためには
他者に自分の欲を満たさせるしか
ないと信じるようになります。

でも、相手は状況を説明されても
具体的に何をしてほしいのか
がわかりません。

そうして要求が伝わらないと
感情を使って自分へ奉仕するよう
促し始めます。

それは、
「なんでわからないんだ!」と
怒ることだったり、
「私のことがわからないなんてひどい」と
悲しみを見せることだったりします。

相手が自分で考えて
あれこれ提案する中で、
自分の要求を満たせる案が出るまで
首を横に振り続けるだけです。

これは、
相手を自分に仕えさせること、
つまり支配するのと同じです。

支配する関係は
良好な対人関係にはなりません。

良好な対人関係なしに
共同体感覚は発達しません。

対等な関係になり、
「要求する」という自分の課題を
自分で解決することで
ようやく共同体感覚が高まる基礎が
整うことになります。

■憎まれて育った場合

憎まれて育つ、とは、
親に十分な注目を向けてもらえずに
育つことです。

子にとって親は
重要な援助者です。

親の援助なしに
生き延びることは困難です。

その親の注目を得ることは
子にとってすごく重要です。

得られないとしたら
何をしてでも得ようとします。

それは幼少期だけではなく
大人になってからも
親の注目を得ることを
人生の目的」としてしまうくらい
重要なことなのです。

その力が外側に向かうと
問題行動を起こしたりして、
周囲に攻撃的になります。

反対にその力が自分に向かうと
自分自身に攻撃的になり
自傷行為やアルコールなどの
依存症や神経症として症状が
あらわれることになります。

上の子が優秀だからと
注目を向けられているのに、
自分は上の子より劣っているからと
注目を得られなかったり、

下の子の面倒を見るから
「あなたはお兄ちゃんだから」とか
「あなたはお姉ちゃんだから」とかの
一方的な親の都合で
注目を得られないことが
当然の状況に追い込まれたりすると
憎まれた子になりやすくなります。

親の注目を得ることを
第一の目標とすることは
関心が自分にしか
向いていない状況です


他者のことを考える余裕がなく
まずは自分が親の注目を得たい、
という状況ですから、
関心は他者に向きにくく
ましてや他者貢献活動をする余裕も
ありません。

すると自然と客観的な貢献感は
得られないので
共同体感覚が発達する機会も
ありません。

■共同体感覚が欠けてる人の特徴

アドラー
共同体感覚が欠けている人は
人生の有用ではない方面に
方向づけられていることだ

と言っています。

そして、
共同体感覚が欠けていることは
次のようにあらわれると
指摘しています。

・問題行動をする子ども
・犯罪者
・精神病者(神経症者)
・アルコール(等の)依存症


すべてに
対人関係を避けて
自分の欲を満たそうとすること

が共通しています。

つまり、
人生の有用ではない方面とは、
対人関係、すなわち、
人生の課題を避ける生き方
です。

そうはならないようにするには
共同体感覚を発達させるように
育てる、または、援助することです。

人生の有用な方面へと進むこと、
すなわち、対人関係を避けずに
対人関係を持ったとしても
怖いことはない、大丈夫なんだと
体験できるように援助することです


そのためには
他者への関心を持てるように
協力していくことです。







お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ10年目、常楽でした。




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