■神経症的な症状

神経症的な症状とは、
端的に言えば
「対人関係を避けること」を
目的にした行為・行動のこと
です。

アルフレッド・アドラー
人生の課題として
「仕事」「交友」「愛」
3つをあげていますが、
いずれも対人関係を持つことです。

つまり、
神経症的な症状とは
対人関係を持たないようにして
どうにか人生の課題を
やりくりできないかとすること、
ともいえます。

例えば「仕事」は
経済的自立という利益を
得ることができる対人関係です。

これが、対人関係を持たずに
どうにか経済的自立と
同等の状況になろうとする場合に
用いられるのが神経症的な症状です。

この症状の特徴は
「経済的自立できるけど、しない」
ではなく
「経済的自立したいけど、できない」
という状況を生み出すのに役に立つ

というものです。

例えば、会社勤務している人が
「出勤できるけど、しない」だと
悪く見られるからと、
「出勤したいけど、できない」の状況に
なるように症状を使う感じです。

同様に
「仕事」のもうひとつの機能である
仕事の仲間やお客さんといった
関係者への貢献活動により
得られる貢献感を得ることや、

「交友」すなわち友達への
貢献活動により得られる
貢献感を得ることや、

「愛」すなわち「性」とか「家族」
における貢献活動により
得られる貢献感を得ることに、

「できるけど、やらない」ではなく
「やりたいけど、できない」
という状況と他者に示せる
と思って
神経症的な症状を用いるわけです。

そんな神経症的な症状を使う人には、
その症状を打ち消そうとする
対症療法的なはたらきかけよりも
「再教育」をすることで
根本的な改善を目指す方が
とても効果的
です。

なお、「再教育」とは
端的にいうと
「他者への関心を
養う援助をすること」
です。

■神経症的な症状を用いる人

アドラーは、
神経症的な人の性格
次のような特徴があると
あげています。

①人生の課題の解決を目指さない
②他者に依存する
③他者を支配する


まず、
神経症的な症状を用いる人は
人生の課題を
自力で解決できないと信じているので
解決を目指しません


しかし、人生の課題は
解決しないわけにはいかない課題です。

そのため、
自力での解決以外の方法で
解決と同等の状況になるための
努力をすることになります


その方法の一つ目が
他者に依存する方法です。

つまり、自分ではできないから
他者に自分の課題を肩代わり
させようとする
のです。

例えば、
自分がお金を稼げないのは
親の責任だとして、
親にお金を出させるような感じです。

親がお金を出さないときは
「かわいそうに」と見かねた誰かが
お金を出してくれるのを
期待するわけです。

そしてもう一つが
他者を支配する方法です。

他者を支配することで
自分の課題を押し付けること
できるようになります。

その支配の方法は
「強さ」ばかりではなく
「弱さ」も利用します。

例えば、自分は体が弱いから
ずっと親が面倒みないといけない、
という状況になれば
親はずっと面倒を見てくれるので
人生の課題を親に押し付けて
しまうことができます。

あとは「体が弱い」という状況を
継続する努力をするだけになります。

■神経症的になりやすい状況

アドラー
神経症的な症状を用いる人に
なりやすくなる状況
を3つ
あげています。

①器官劣等性のある人
②甘やかされて育った人
③憎まれて育った人


器官劣等性とは
身体的な障害のことです。

通常は、身体的な障害があっても
適切に自分の力で応じることで
人生の課題の解決に取り組み、
そして解決していきます。

しかし、そうではない人は
神経症的な症状を用いる人に
なることになります。

甘やかされて育った人は、
自分の課題のほとんどを
親が肩代わりする状況で育った人です。

そもそも自分の課題は
親などの他者がやってくれるもの
と思って育ちます。

そのため、自分の課題を
他者に肩代わりさせることが
当たり前となってしまうわけです。

自分の課題の肩代わりを
頼んで断られると
「なんでやってくれないの!?」
みたいに怒ったりする人です。

そして、
その怒りを使い続けると
その相手が折れて肩代わりを
受けてくれる経験をすると、
「怒ると支配できる」と
信じるようになり、
他者を支配する方法を
使うようになります。

憎まれて育った人は、
親からの十分な注目を得ずに
育った人です。

対人関係を持つと
嫌なことが起きるからと
対人関係を避けるようになります。

対人関係を持って
良いことが起きることもあるのは
承知していますが、
もしも嫌なことが起きるのなら
その「良いこと」を切り捨ててでも
嫌なことを確実に回避できる方法である
対人関係を避けることを
選んだ方が「まだマシ」と思うわけです。

しかし人生の課題は
解決しないわけにはいかないため、
対人関係を持たなければ
いけないときは、
他者に依存する方法か
他者を支配する方法を選ぶことで
自分の安全を確保しようとします。

■神経症的な人の共通点

アドラー
神経症的な人の共通点として
2つあげています。

①自分には課題解決する能力が
 ないと信じている
②他者は仲間ではなく
 敵か味方のどちらか


課題の解決を試みようとして
もしもうまく解決できずに
失敗したと感じたときに
自分は安全ではいられない、と感じると、
課題の解決に挑戦する回数を
増やそうとは思えません


そんな状況では
自分に課題解決できるかどうか
確かめる機会が少ないために
「自分には能力がある」と
信じるほどの根拠を持つことが
できないわけです。

本来であれば、
課題解決を試みて
たとえ失敗したとしても
「次はどうすればうまくいくか」と
できるまで繰り返し挑戦して
実際に課題の解決を経験することで
「自分には課題解決の能力がある」と
自然と思えてくるようになります。

しかし、神経症的な人には
そう思えてくるに至るまでの経験を
することができなかったわけです。

自分には課題解決する能力が
ないと信じることを基礎にして
課題をどうにか解決できないものかと
するしかなかったと
見ることもできます。

また、
他者は仲間ではなく
敵か味方のどちらか
、と見るのは、
神経症的な症状を用いた相手が
自分の課題を肩代わりしたら味方で
それを断ったら敵とすることです。

これは、
自分が他者に何ができるか、ではなく、
他者が自分に何をしてくれるか
ばかりに関心がある
、ということです。

依存させてくれるか、
支配させてくれるか、で
相手を切り分けているわけです。

敵とした人とは
離れていきますし、
今は味方の人でも
いつ敵になるかを
いつも心配したり
敵にならないよう監視し続ける
必要があって、
何もせずに安心はできない状況
となります。

依存されたくない他者も
支配されたくない他者も
自分から離れていきますから、
他者を敵・味方に切り分け続けると
やがて孤立していくことになります。

自力で人生の課題を
解決できないのに、
孤立に向かってしまうと
自分の課題を肩代わりする人が
いなくなってしまいます。

そこで、神経症的な症状によって
それを阻止しようとするのです。

■再教育

アドラーは再教育について
まず自分の行為・行動が
不適切なことを理解すること、
そして、
人生の課題の解決に役に立つのが
他者への関心を持つことと
理解すること

と言っています。

なお、「再教育」なのは
「教育」は子育ての中で
親がするものであるのに対し、
「再教育」はその親の教育が
うまくいかなかった人に対して
再度、教育をする、という意味です。

神経症的な症状を用いて
自分の課題を肩代わりさせて
いることを理解できれば、
それを選ばないこと、
そしてそれ以外を選ぶことが
可能になります。

神経症的な症状以外に
選択肢がないと信じるから
神経症的な症状を使わざるを
得ないと思うところに、
他にも選択肢があると
気づいてもらう
、という感じです。

また、こんな問いかけ。

相手の立場に立って
神経症的な症状を使われたら
自分ならどう感じるのか?


この問いに答えるには
他者への関心が必要になります。

そうして他者への関心を
持つように援助しながら
他者の利益になるような
やりとりを促していくわけです。

すると自然と
他者は敵・味方ではなく
みんな仲間であって
それぞれに心理的な距離があるだけ、
と理解しやすくなります。

なぜなら、
貢献する相手は
敵・味方ではなく仲間という
対等な関係だからです。

他者を敵・味方とする思考は
他者と対等な関係ではなく
上下関係(支配関係)であり、
他者貢献する相手は
自然と対等な関係になるからです。

当然ですが、
そんな再教育をする人
他者への関心を持っている
必要があります。

この再教育という援助がうまくいけば
自分が評価してもらえるとしたら、
自分にしか関心がないことに
なってしまうので、
目的は「再教育すること」として
臨む必要があります。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ10年目、常楽でした。



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