■本音に触れたくない気持ち

本当の本音に触れると
劣等感を感じてしまうので
触れないようにしておきたい。

そう思うと
本当の本音は
自分でさえもわからないように
見えないどこかへ隠したくなります


だから
本当の本音が
どこにあるのかわからないよう
心の中にごちゃごちゃを作って
かぶせて見えなくして
わからなくして
しまいます。

最初はどこにあるのか
本当の本音が何だったのか
憶えています。

でも時の経過とともに
だんだん忘れていって、
やがて自分は何のために
生きているのか
わからない日々
を送ることに
なっていたりします。

そのときには
今の状況を支えることに精一杯
本来の本当の本音を
扱うには困難な状況
なっています。

その状況において
本当の本音に触れてしまったら
今の状況が崩壊する怖れがあり、
本来は本当の本音で生きたいけど
今は触れない方がまだマシと感じて
触れないような努力まで
していたりします。

この状況は
本当の自分で生きたいけど
本当の自分で生きたくない

という自己矛盾の状況です。

ですが、この状況は
本当の本音を共有できる人が
たった一人いるだけで
ガラリと変えることができます。

そこで最も大切なのが
共有であって
評価ではない

となっていることです。

■共有すること

共有する、とは
お互いがテーブルについて
そのテーブルの上に
本当の本音を出して一緒に見る

ということに例えられます。

相手からすると
この状況は
とても簡単に優越感を得られる
とても魅力的な機会
です。

なぜなら、
テーブルに出してくれた
本当の本音を評価すると
評価した自分は
評価された相手より優位と感じ、
優越感を得られるから
です。

評価する人は、
自分の本当の本音は
横に置いておくので
評価される心配がありません。

つまり、自分は評価されて
劣等感を感じる怖れが
まったくない状況
です。

そんな優位な状況から
相手が見せてくれた本当の本音に
「いいね」とか「それじゃダメ」とか
評価することなら何でも出せば
優越感を得られてしまうわけです。

それがどんなに
言葉や言い方がやさしくても
評価は評価
なので
心理的な攻撃となることには
変わりません。

だから本当の本音を共有する
ということは、
相手に自分の裸を
さらけ出すことと
心理的には同じ
なのです。

そして、
そんな怖れを感じながらも
勇気を使って本当の本音を
相手に見せるのですから、
見せられる側は
その勇気に敬意を払うべきです。

つまり、大切に扱うことです。

それはすなわち、
共有されたのなら
共有することで
応えること
です。

■「本当の本音が有る事実」の力

「私は本当は、○○がイヤだ」
「私は本当は、○○がしたい」
などと本音を見せてくれたのなら
「そうなんですね」とか
「○○がイヤなんですね」とか
「○○したいと思ってるんですね」とか
言葉はそれくらいにしておいて
本音を見せてくれた人の
その気持ちを深く感じようと
すること
です。

つまり、
本当の本音を
そうして大切に扱う人が
一人いてくれることで
本当の本音を隠さずに
生きていくことができる
のです。

本当の本音は
自分一人で抱えていると
有るのか無いのか
よくわからない状態
です。

しかし、
共有する人がいると
確かに有るもの
すなわち事実になります。

その「有るもの」と
なることから得られる力は
すごいです。

有るのか無いのか
わからない日々は
進んでいるのかどうなのかも
よくわかりませんが、
有るものとなっている日々は
確実に人生が進む日々
なっていきます。

だから、
人生に停滞を感じたときに
自分の本当の本音を共有できる人が
まだいないなら見つけることです。

見つけるまで大変なら
メンタルコーチの手を借りることです。

もしもういるなら
その人に感謝をしながら、
自分も誰かの
本当の本音を共有できる人に
なってあげること
です。

そうすれば、
その人の人生を
力強く応援できますし、
その人の人生が進めば
自分の人生もより楽しくなります




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ9年目、常楽でした。




人生の課題は、たった3つ

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劣等感から理想、ではなく、理想から劣等感がうまれる

主観的な「劣等感」、客観的な「劣等性」

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