■悲しい話をするのは、楽になりたいから

悲しい話をするのは
楽になりたいからです。

悲しい話をして
さらに悲しくなりたいとは
思いません。

悲しい話をして
楽になるときは
「わかってもらえた感」を
感じたときです。

その「わかってもらえた」とは
詳細を理解してもらえたという
ことではなく、
「今、悲しい気持ちなんだね」と
共感された感覚です。


■問題解決がツライとき

悲しい話に対して
問題解決姿勢で臨む人がいます。

例えば
「何が悲しいの?
なんだ、
それなら○○すればよかったじゃない。」
みたいに。

話す人が
何か助言を欲しいと思っていたら
その助言は今後の活動に
役立つかもしれません。

でも話す人が
楽になりたいと思って
悲しい話をしていたら、
その助言は話す人を
叩き落すようなことに
なってしまいます。

「最近どうですか?」と
訊かれたので、

「最近体型が変わってきて
自分らしくないんですよね」と
答えました。

太ってきた身体について
悲しい話をした感じです。

私が答える否や
「はい、ジム行ってください」と
返されました。

親しい関係と相手のことを
思っていたので、
ちょっとびっくりしました。

続けて相手は言います。
「全然太ってるようになんて
見えないから、大丈夫ですよ」

私の考えや気持ちは
場外へ放り投げられた感じです。

「子育てって大変ですよね」と
言われたので、
それに応じて話していたら
話が盛り上がってきました。

私から
以前に旅行に行ったときに
子供が服を持ってくるのを忘れて
同じ服で過ごした話をしました。

「子供に準備させたはずなのに
準備できていなかった。
その穴を埋めるのは親の仕事ですね。
だから子育てって大変ですね。」
こんな悲しい話をしたつもりでした。

「そうですよね、大変ですよね」と
共感が返ってくると思いました。

でも、聞いた相手は
こんな返事をしてくれました。

「なんで現地で買ってあげないの?」

「服なんてどこにでも
売ってるでしょうに。」

「私ならそうする」

え?
今は「子育てが大変」という
テーマで話していて、
お互い楽になろうとしていたの
ではなかったの?

キャッチボールしていたら
突然バットで打ち返された。
そんな感じでした。

盛り上がっていた気持ちは
すぐに冷めてしまいました。

「いえいえ、現地に
服売ってませんでした」

「寒い季節だったので
1泊2日くらいは何の問題も
ありませんでした」

子供に何度も
「準備できた?」
「お洋服入れた?」
などと確認して、
子供も何度も
「大丈夫」と答えたから
大丈夫だと信じていました。

準備した荷物を開けて確認することは
できましたけど、
それだと子供の言った「大丈夫」を
信じていないと示しているように
感じたので、確認はしませんでした。

その上で子供が忘れたので
子育ては大変だね、と
いう話だったんですよ。

こんな感じで
相手の「なんで?」に応じて
説明していたら
「そっか、そうなんだ」と
わかってもらえました。

私が子供にやさしくないみたいで
相手が「自分はあなたよりも
子供にやさしい」と言われてるみたいで
なんだか気持ちが沈みました。


■共感を示す

悲しい話をするのは
楽になりたいから。

それに応じるのに
無難な言葉が
「大変ですね」です。

ある精神科医の人から
聞いた話です。

気軽に相談されてしまうことが多く、
全部に丁寧に応じては
さすがに身が持たないし
仕事にも支障をきたす。

でも、だからといって
「今は診療時間外ですから」
「今は話聞けません」
「今はやめてもらえますか」
などと言って断ると
相手の勇気をくじくことに
なってしまうかもしれない。

「話を断られた」と感じた人は
自分のことを
「あの人はひどい人だ」と
周囲に言って回るかもしれない。

そこでちょうど良いのが
「大変ですね」と返すこと。

例えば
「私、DVで大変なんです」
「大変ですね」

「私、犬が怖いんです」
「大変ですね」

「お金がなくて大変です」
「大変ですね」

「すてきな異性に出会えません」
「大変ですね」

「夕食のメニューが思いつきません」
「大変ですね」

共感を適度に示してくれるので
話す人は「わかってもらえた感」を
感じます。

「わかってもらえた感」を感じると
話す目的が達せられるので
話が終わります。

悲しい話には
助言より共感を示す方が
話す人、聞く人、両方に
役立ちます。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ8年目、常楽でした。


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