人が話すことは
3つに分けられます。



それは
「可哀そうな自分」
「悪いあの人」
「これからどうするか」
の3つです。

このうち人生が進むのは
「これからどうするか」です。



大変な思いをした。
だから今こんな状態なんだ。
自分って、可哀そうでしょ?
と訊いて相手に同意してもらえると
救われます。

「大変でしたね」
そう努力を認めてもらえると
癒しが起きます。

癒されるためなら
「可哀そうな自分」の話を
することは大切なことです。

でも
いくらこの話をしても
過去を話すだけなので
人生は進んでいきません。



大変な思いをした。
それはあの人が○○したおかげ。

あの人が違ったら
今の状態もきっと違います。

今の自分の状況は
「悪いあの人」のおかげで
こうなっている。

だから自分は悪くないって
わかって欲しい。

自分がなりたくて
こんな状況になったわけじゃないから。

悪いのは、あの人です。
そう言って、
相手に同意してもらえると
救われます。

「大変でしたね」
そんな感じに
察してもらえると
癒されます。

癒されるためには
「悪いあの人」の話をすることも
大切です。

でも、いくらこの話をしても
過去を見てるだけなので
人生は進みません。



「可哀そうな自分」
「悪いあの人」
こんな話をしつくすと
これら以外のことを
話したくなります。

それは
「これからどうするか」です。

癒しよりも
人生進めて
感じる幸せを
増やしてく活動です。



DV・虐待する元配偶者と
婚姻関係があった頃。

私は心も身体も
傷だらけだったこともあり
癒しを求めてました。

口を開けば
「可哀そうな自分」
「悪いあの人」
が出てくるばかり。

例えば
私の食事はつくらないと
言い放つ元配偶者が
たまに食事を用意してたり、

それを食べないと
「せっかくつくったのに!」と
怒り出して
その怒りのはけ口として
子供への虐待が始まったり、

その食事が腐っていて
虐待を回避するために
無理に食べるが
やっぱりひどい下痢などで
体調崩して、
そんな状態で翌日も
仕事に出かけて、
仕事はかどらず、
まわりに迷惑かけたりして
辛かったり。

親は子供に一番近くて
守る立場にあるのに
虐待して癒しに利用するなんて
ひどいよ、とか。

「触るんじゃねえよ」
とか言ってるのに
向こうからベタベタ触ってきて
服の中に手を突っ込まれたりして
どうしたらいいのか頭真っ白で
緊張の時間が続いたり。

いろいろ
わかってもらいたくて
話す機会があると
話していたけど、
こんな話を聞きたい人なんて
いませんでした。

「可哀そうな自分」
「悪いあの人」の
話をすればするほど
孤立していきました。



「仕事は仕事で
ちゃんとやってよ。
家族の状況がどうであれ、
約束でしょ?」
なんて職場で言われたり、

「母親がDV虐待するなんて
信じられませんよ。
本当は、そんなあなたが
加害者なんじゃないの?」
なんて相談に行った先の
カウンセラーに言われたり、

理解してもらえることは
ありませんでした。

自分が癒されたいと
藁をもつかむ思いで
理解者を探していました。

でもみつかりませんでした。



事態が変わってきたのは
「可哀そうな自分」
「悪いあの人」の話ではなくて
「これからどうするか」を
話すようになってからです。

暴力のない環境で
平和に暮らしたい。

自分の努力を認めてよ、と
駆けずり回るのではなく、
平和に暮らしたい、
でも今は違うので
実現の方法を探してる、
みたいに話すと
不思議と聞いてくれる人が
現れ始めました。

理解者も味方も増えて
「父親は離婚すると親権とれませんよ」など
嫌なこと言ってた行政機関の人は
消えてしまって
「ここに相談してみてください」
「○○するといいですよ」など
役に立つことを言ってくれるように
なりました。



人が話すのは3つ。
「可哀そうな自分」
「悪いあの人」
そして「これからどうするか」です。

人生が進むのは
「これからどうするか」だけです。

どれを話すと悪くて
どれを話すと良くて、とかは
ありません。

何に役立つかが、違うだけです。

そして、
今自分がこの3つのうち
どれを話しているのかを
知ることは、
人生を進めていく上で
役に立ちます。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ8年目、常楽でした。


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