自分の状況や状態によって
自分の価値を
ある、とか
ない、とか
話したくなる。

相手に好評価されたいときは
自分の価値を「ある」と話す。

相手に何かしてもらいたいときは
自分の価値を「ない」と話して
相手が自分を助けることを
期待したりする。



相手に見せる自分と
本当の自分との差が
大きくなると、

その状況を続けるには
その差を相手に知られないように
しないといけない。

差が少ない人より
やることが多くなって
次第に生きづらくなってしまう。



真剣になっていたり
挑戦しようとするときは
「自分はできる」など
自分の価値を「ある」として
思考・行動する。

反対に
悲しみたかったり
何かを投げ出したくなったりすると
「自分はダメだ」など
自分の価値を「ない」として
思考・行動する。

そうして
「ある」とか「ない」とか
評価しているのは自分自身。

自分の状況に合わせて
使い分けているだけ。



誰でも価値は「ある」のです。

その価値の存在を
「ある」と見るか
「ない」と見るか、だけ。

例えば
誰かと電話していて
「そこどこ?」と訊かれる。

自宅にいるから
「自宅だよ」と答えるなら
「自宅に居る」を「ある」と
見ているということ。

一方で、
「出先だよ」と答えるなら
「自宅に居る」を「ない」と
見ているということ。

「自宅に居る」があることは
変わらないけど、
見方次第で「ある」にも
「なし」にもなる。

自分の価値も同じ。
どちらの見方でも
消えることはありません。



あるセミナーで
一緒になった人に
こう言われました。

「社長の俺から見ると
あなたはまだ何の価値もない。
もっと頑張らないと
人生を棒に振るよ」

辛口な応援です。

また、
別の人にはこう言われました。

「あなたと話してると
すごく安心します。
何話しても大丈夫って
すごく信じられるんです。

それって才能です。
あなたの能力ですよ。

話しているだけで相手を
こんなに安心させられる人なんて
滅多にいませんよ。
すごい存在だと思います!」

人によって
自分に見る価値も
違ってくるのか。

そう思うと、
自分の都合で
自分の価値を
どう見ているかも変わるんだと
実感しました。



相手は自分に
相手自身が見たい価値を
見ています。

自分も同じように
自分自身が見たい価値を
見ています。

その「見たい価値」は
何かの目的に
どれだけ役に立つか、を
基準としています。

その基準を越えないものは
「ないもの」としがちです。



価値とは
何かの役に立つこと。

一部だけ見て
「ない」と見えても
その見えている部分以外に
自分の価値は
必ずあります。

「自分が役に立たない証明」が
できたとしたら、
それは、その反対の
「自分が役に立つ証明」も
できる証拠です。
すべては見方次第ですから。

見たい部分以外の自分も
見てみれば、
それは自然とわかります。





お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ8年目、常楽でした。



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