相手が変人に見えるとき
あったりします。



それって相手が
自分にない経験を持ち、
自分にない価値観を持っているから、
ですよね。

多様性、ということで言えば
そういう人が存在するのは
まったく問題ありません。
(倫理的にダメな変人はもちろん、論外です。)

と、いうことは、
変人でない人なんていない?

相手が変人に見える自分も変人。
変人の定義自体、人それぞれですが
それも、それぞれが固有の存在だから、
うなずける。

変人=個性が表出した人、ですよ。





相手を
「変人」というラベルを張り付け
「変人」に類別する。

「変人」という檻に入れて
檻の外から距離を置いて見てる。

その人と仲良くなりたいと思っていなければ
それで済みますね。




でも、仕事や趣味などの集まりで
ご一緒することになると、
それだけで済ますのは難しいところもあります。

そんな集まりでは
「初見で変人」と見える人が
必ずと言っていいほどいますよね。

さらに、冷静に思ってみれば
「変人がいないコミュニティ」
なんてないありませんね。




個性を表出せずに様子見してる人の中で
個性を表出している人は目立ちます。
目立つのでその人に見る変人度も高い。

その集まりが何度もあれば
その中で個性を表出する人が増えるし
交流する中で互いの情報も増えてくる。

情報が増えきて、コミュニティの
人間関係が把握できてくると
見え方も「変人」から「〇〇さん」と
変わる。

だんだん「普通」が増えてくる。





こういった集まりでの人間関係は
「仕事のタスク」です。

仕事や趣味など、何かを介した人間関係。

そこから何も介さずにつながる
「交友のタスク」を持つかどうかは
あなたが自由に選んで良いわけです。




変人とは、個性が表出した人。
変人=悪ではないですよね。
(倫理的にダメな変人は論外ですからね。※繰り返し)



お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ7年目、常楽でした。


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