手も足も
肩も腰も
胸も背中も
頭も腹も
すべて自分の身体です。



名前は違うけど
全部が自分です。

それは心も同じ。

嬉しいも悲しいも
怒りも楽しいも
嫌も好きも
快も不快も
すべて自分の心です。

名前は違うけど
全部が自分です。

嫌いなところも
好きなところも
すべてがすべて
全部が全部
大切な自分です。



私の小学生の頃を
振り返ると
「親に迎合する自分」と
「自由に生きたい自分」と
2つの自分がぶつかってました。

アクセルとブレーキを
両方ベタ踏みするような
苦しい思いをしてました。

例えば
親がたまに
買ってくるケーキ。

当時の私は
ケーキを食べると
気持ち悪くなってしまうので
食べたくありませんでした。

親は物腰こそやわらかいが
「ありがたがって食べろ」と
言ってくる。

気持ち悪くなるので
いらない、食べられない、と
言うと親は

「そんなことないよ」と言う。

本人でないのに
なぜわかるのか謎です。



「食べなさい」
「いらない」と
押し問答をしていると
最終的には
「言う通りにしないと見捨てるぞ」と
脅される。

きょうだいはケーキ好きで、
気持ち悪くならないので
私に「親が正しいから食べろ」と
迫ってくる。

家族からの袋叩き状態。

だから、最終的には
ケーキを食べる。
食べて気持ち悪くなる。

気持ち悪くなったら
寝込むか、
悪いとトイレで身体から出す。

親はそんな私を見て
いつも「かわいそうにね」と
嘲笑していた。



親は
いくら私がいらないと言っても
粘りに粘れば必ず食べると
学習する。

だから、またケーキを買ってくる。
自分は善いことしてる、と確信して。

そんな嫌な習慣が
当時の我が家には
ありました。



親を悲しませたくない。
むしろ喜ばせたい。

親を怒らせると
「見捨てるぞ」と
脅してくるので、
それを回避したい。
回避して生き延びたい。

親を嫌いになりたくない。

そんな自分は
親に迎合します。

一方で、
「食べたくないものを食べない」
をしたい。

嫌なことはしたくない。
自分を曲げたくはない。

自分の心に忠実に
自由に生きていきたい。

そんな自分がいます。



親に迎合する自分は
自由に生きたい自分を
否定します。

生き延びるためには
嫌なこともする必要がある。
自分を曲げることも
する必要がある。

心が何を感じても
生き延びられなければ
感じることすらできなくなるから。

だから自由に生きるなんて
無理だよ、と。



自由に生きたい自分は
親に迎合する自分を
否定します。

嫌なことしたり
自分を曲げたりするのは
自分を汚すこと。

大切な自分を汚してでも
やらなくちゃいけないことなんて
ない。

嫌なことしたり
自分を曲げたりするのは
ありえない。

親に迎合しなけりゃ
いけない理由なんて
あるわけない、と。



最終的には
「生きたい」が優先して
親に迎合してでも
生きることを優先しました。

自由に生きたい自分には
我慢してもらって。

2つの自分が
互いに否定し合ってるので
心は苦しいです。

どちらかの立場に立つと
もう一方の自分を否定する。

自分の中に
いつも「いてはいけない自分」が
いることになります。

全部が大切な自分なのに。



アドラー心理学の
「全体論」を知ると
この苦しさから
解放されました。

アドラー心理学の
別名が「個人心理学」。

この「個人」とは
これ以上分割できない
最小単位、という意味です。

なるほど、
これ以上分割できない自分を
分割していたために
苦しかったのか、と
ひとり納得してました。



「親に迎合する自分」も
「自由に生きたい自分」も
同じ生き延びることを
目的にしています。

「親に迎合する自分」は
何をしてでも生き延びる、
身体的な生存を目指した自分です。

「自由に生きたい自分」は
自分らしさを維持向上したい、
精神的な生存を目指した自分です。

なーんだ、
手段・方法が違うだけで
どちらも「生き延びる」を
目指していたんだ、と
わかったときには
心の苦しさは消えてました。

大切にしたい自分を
大切にできなかった状況から、
大切にしたい自分を
大切にできる状況に
なったからです。

自分の中から
「自分を否定する」が
なくなった感覚です。



やってしまった自分って
ダメな自分。

迷惑かけた自分は
ダメな自分。

そう見えても
その動機は常に「善」です。
ダメじゃありません。

その手も
その足も
その存在を否定する必要は
まったくありません。

同じように
自分の心のどんな思いも
存在を否定する必要は
まったくありません。

すべてが大切な自分です。

大切にしては
いけない理由も
まったくありません。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ8年目、常楽でした。



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