他人からの期待が
苦しい。



でも、その期待を
捨てることができない。

そんなときは、
その期待は捨てずに
横に置いてみる。

横に置いて
こう自分に訊いてみる。

「本当はどうしたいの?」



自分が他人から
どう見られるのか、よりも

自分が何をしたいと
思っているのか、を
知ることは

生きていく中で
とても頼もしい行為です。

本当の
本当に
自分がやりたいと
思うことであれば

それをするのに
他人の視線は
関係なくなってしまうから
です。



私が最初に
親から自転車を
与えられたのが
小学校低学年の頃でした。

姉からのおさがりの
シンデレラがテーマの
ピンク色の自転車を
乗りなさいと渡されました。

それに乗って出かけるたびに
嘲笑され、
白眼視されるので、
本当にイヤだったのですが、
自転車に乗らないと
行けないと思う場所には
しかたなく使って
出かけてました。

まずは
この「しかたなく」が
「本当に自分がやりたいこと」が
あるおかげで
恥ずかしい思いも
乗り越えてしまう心の力ですね。



恥ずかしい思いに
我慢を続けるのは
本当にイヤなので
回避すべく行動します。

姉にも新しい自転車を
買って与えたように、
自分にも新しいものを
買って与えて欲しいと
親に言い続けます。

親は
「自分は子供には公平な善人だ」
と日ごろから主張します。

さらに
「まだ使えるものを使うのは善だ」
「まだ使えるものを捨てるのは悪だ」
とも主張します。

姉は通学に使うとかで
新しい自転車を買ったため
私に今まで使ってた自転車が
おさがりとして降りてきた
わけです。

姉は
新しい自転車を2台も
買って与えられてるのに、
私には新しい自転車は
ゼロ台。

これでは公平だなんて
言えないと思い、
さらに親に言い続けました。



親は
私に姉と同じように
自転車を与えたことは
公平だと言います。

私に与えたものが
新品でないのは
まだ使えるものを
使い続けるのが善だから、と
言います。

あてはめる条件がおかしい。

それは親のあなたに
都合の良いように
解釈しているだけだと
言い続けます。

見捨てられる恐怖も
「本当にやりたいこと」、
すなわちこのときは
「新品の自転車を手に入れる」の
ためには乗り越えてしまいます。

心の力を感じてました。



言い続けたおかげで
親にも影響を与えることが
できました。

まだ使える自転車を
使わないのはありえない、
新しい自転車を買うことも
ありえない。

そう考える親は
新品を買わずに
自転車を新しくする方法を
思いつきます。

それは
シンデレラの飾りを
取り去って、
ピンクの車体を
他の色で上塗りして
色を変えることでした。

これでようやく
嘲笑や白眼視とも
決別できると思ったのですが、
そうはなりませんでした。

上塗りする色が
「金色」だったからです。

どうして私に選ばせないのか?
それは、
父親が
「やってみたかったから」です。



何回かに分けて
金色に塗られていきます。

なんで黒や青じゃないの?
父親は聞く耳持たず
母親には
「そんなこと言ってはいけません」と
言われてしまう。

父親の機嫌を損ねると
「じゃやめた」と
色を変えることも
中止されるかもしれない。

なので、ただ黙って
金色になっていくのを
見ていました。

金色に乗って
どんなに恥ずかしい思いを
するのかを味わって
その思いを父親に
叩きつけてやろうと思いながら。



思った通り
金色に塗られた自転車を
乗っていると
とても恥ずかしい思いを
感じました。

友人には
ピンクの次は金色だ、と
バカにされ、
「お前の親も頭おかしいな」と
嘲笑されました。

まったくその通りなので
自分は傷ついてるのに
共感されているような救いも
感じてました。

心が壊れる感覚でしょうか。



自分で自分の自転車を
選ぶことができない。

そんな私の憤りは
親にも影響を与えました。

見捨てられる恐怖も
どこかへ行ってしまい、
こんなこと我慢するくらいなら
もうどうなってもかまわない!と
本気で思って
親に気持ちをぶつけてました。

親の切り札、必殺技の
「見捨てるぞと脅す」も
このときは私に通用せず、

自分たちがどうしたら
善人でいられるのかを
考えなければならない状況に
なったようでした。

そして
父親と母親が
冷静に話し合ったようで
小学6年生の頃に
ようやく新しい自転車を
私に買う決断をしました。



新しい自転車が手に入ると
うれしくてたまりません。

用もないのに
朝6時に起きて
近所を乗り回します。

この活動に親は
ちょっかいを出してきます。

新しい自転車の
乗り心地はどう?

おとうさんは
その自転車乗れないな。

毎朝、よくやるね。

今日はどこまで行ったの?

そんな遠くまで行ったの?

今日はそんな近くなの?
もっと遠くまで行ってみたら?

親から言われる
自転車に関するすべてのことが
不快でした。

「自分が買って与えたおかげで
良い思いができてるだろ?」と
言ってる感じが
してたまらなかったからです。

でも、
新しい自転車に乗ることは
本当にうれしくて、
本当にやりたいことを
できている感覚を
とても強く感じてました。

なので、
親からどう見られるか、
何を言われるかなんて
どうでもよくなってました。

さらに、ここまでで
新しい自転車を手に入れるまで
「なぜ自分は新しい自転車を
入手できないのか?」と
原因を知りたいと思うことは
一度もありませんでした。



本当にやりたいことを
知ることは、
自分の力を覚醒させてくれます。

踏み出す一歩に
力を与えてくれます。

やったらどうなるか
心配するよりも、

何が起きるか見てみたい
その先どうなってるのか
知りたい

そんな思いが強くなり
止めようとする人がいても
誰も自分を
止めることはできません。

そんな「本気」とともに
今日を生きることが
自分にもできますね。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ8年目、常楽でした。



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