約束には
目的があります。

その約束が
その目的にふさわしいかは
結末を見てみないとわかりません。

そうです、約束は手段です。
約束にこだわりすぎると
目的を見失うかもしれません。

ですから
こだわるのは
約束よりも、目的です。



例えばこんな約束。
「脱いだクツをそろえる」

その目的を
約束の相手とちゃんと確認する。
あなたなら、どんな目的にしますか?

例えばこんな目的。
「お行儀よいと、好印象。
好印象は、幸せを呼び寄せると信じてる。
お互い幸せたくさん呼び寄せたいから、
クツをそろえましょう。」

この場合、
「幸せを呼び寄せる」が目的ですから
クツをそろえる以外の方法も
ありますよね。



相手が
脱いだクツをそろえるのが
どうしても苦手で
なかなか約束守れず苦しくなってるなら、
その目的にふさわしくない約束を
している状況です。

そこで
「約束を破った/守れ」などとモメれば
お互い相手の注目を独占できますが
あんまりしあわせそうじゃありません。

だから、
とっとと他の方法を試してみて
今のお互いにふさわしい約束を
見つけていけば
早く目的を実現できますね。



子がお風呂から出た後に
換気扇をつけていなかったので、
「お風呂でたら換気扇つけて」と
話しました。

すると子は
「わかった」と了解してくれて、
換気扇をつけてくれるようになりました。

約束をして、
それを守ってくれてる状況です。



その後、
子がお風呂から出た後に
換気扇がついていないのを
発見したときのこと。

入浴後に換気扇をつける、という
約束が守られていなかったわけです。

そこで「なんでつけなかったのか」で
モメるのはお互いしあわせじゃないので
しません。

代わりに
目的の確認をしました。

「お風呂を早く乾かせば
カビが増えにくかったりで
気持ちよく使えると思うから
換気扇のスイッチを入れたよ。」

子は普通に
「ありがとう。
換気扇、忘れてたよ。
私も同感だから
今度から気を付けるね。」と
応じてくれました。

目的が共有されてるので
私も子も主体的に
換気扇のスイッチを入れられます。



逆に目的が共有されてないと
お互いに苦しい状況となります。

私が
なぜ学校に通うのか?が
わからず悩んでいた頃。

親に訊いても
「みんな通うものだから」
「通わないことができない」
「通えない子もいるから
通えるお前はしあわせだ。
だから贅沢言っちゃいけないよ。」
など、意味不明な返事ばかりが
返ってきます。

親としては
私をなんとかして学校に
通わせないと沽券にかかわるようで
日々、説得されます。
私のため、ではなく、親自身のために。



私の「なぜ」に答えてくれないので
話をいくらしても
私の中に「学校に行く選択」を
する理由が不明なままです。

でも、拷問のように親の話を
聞かされ続けるので
それに耐えられず
「わかったよ。がんばってみるよ。」と
親に伝えます。

すると親は
すべての問題が解決したかのように
「じゃ、明日からがんばってみて」と
言って拷問のような時間が終わります。

親は
「頑張る」=「学校に行く」と
解釈してました。



翌日になり学校に行く時間を迎える。

「なぜ通うのか?」がわからないので
頑張ろうにも頑張れない。
結果、遅刻の時間となる。

遅刻すると教師に殴られるから
やっぱり行きたくなくなる。

すると親は
「昨日学校に行くと言ったじゃないか」
「学校行ってよ。もう困らせないでよ。」
などと言ってくる。

は?
行くとは言ってませんが...



私が知りたいのは「目的」です。
その目的がわからないので
「学校に行く」という約束ができません。

できると思えない約束でも
しないと解放されないし、
見捨てられると生きられないと思ってたので
親に負けて約束をしてしまう。

でも目的がわからないので
約束も自分を犠牲にする以外に
守る道がない。

犠牲にしたくないから
また学校に行かないこととなる。

すると、また
拷問のような
親の説得の時間。

親は「子を学校に通わせる」ことで
「責任を果たしている親」と
周囲から見られたかったのでしょう。

でもそれは、私の目的にはなりません。

目的が共有されてないため
お互い、苦しい悪循環が続きます。
不毛です...



約束にこだわることは、
手段にこだわることです。

手段にこだわると
目的がわからなくなってしまいがち。

こだわるなら、
約束より目的の方が
しあわせ獲得に効果的です。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ8年目、常楽でした。



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