怒る感情。

その目的は
何かの拒絶。

ありがちなのが
相手を支配することで
自分の都合の悪いことを
責められないようにすること。



小学生の頃の父親の必殺技が
「なんでそんなこと言うんだ!」
でした。

都合が悪くなると
いきなり怒りの感情とともに
そう言い放ちます。

突然の怒声にこちらはびっくり。

対等な話し合いだと思ってたら
いきなり脅迫されるような状況に。
その場の支配権を父親が得る状況に。



「好きなことをしなさい」
と言われ、好きなことをすると
「それはダメだ。他にしなさい。」
と言われる。

他のことをしていると
「それはダメだ。他にしさない。」
と言われる。

何やってもダメと言われるので
わからなくなって、
何をやったらいいのかを訊いた。

すると
「それは自分で考えなさい」



自分で考えて
「こうしようと思う」と話すと
たまに「いいよ、それでやってみて」と
許可(?)が下りる。

その後
話した通りにやっているだけなのに
「それはダメだ」と言われる。

「こないだいいって言ったじゃないか」と
許可(?)の事実を伝えると
「やっぱりダメだと思ったから、ダメ」

「じゃあ、どうしたらいいの?」
「それは自分で考えてごらん」


こんな繰り返し。

繰り返されるのでイヤになる。
目的じゃなくて手段にダメ出しされる。

そのうち目的が
「父親から解放されたい」になる。



「好きにやってごらん」
「そういってもあとでダメって言うじゃない」
「大丈夫だよ、言わないよ」
「たくさん言われたから今度も言われる」
「そんなことないよ」
「やだ」
「そう言わずにやってごらん」
「絶対言われるから、やだ」
「なんでそんなこと言うんだ!」

突然来るので、びっくりする。
学校で教師になぐられたりしてたので
父親にも殴られるかも、と身構える。
フリーズ状態。

何も話さなくなるので、静かになる。

すると父親の態度はやわらかくなり
やさしい口調で言う。

「お前ならできるから、大丈夫だよ。
好きにやってごらん」

聞いて、妙に安心してしまう。



見捨てられて、死ぬのが怖いから
父親の軍門に降るしかない。

そう自分に言い聞かせて
自分の支配権を譲り渡す。

食い下がっても
母親も参戦して
大人2人 対 子供1人となり
どうがんばっても言葉じゃ敵わない。

言い負かされて、やりとりが終わる。

親は、その後は
自分たちが言ったとおりになると
信じている。
「好きにやるんだろう」と。



父親がいつも怒鳴ってたら
慣れて、ひるむことは
なかったかもしれない。

しかし「ここぞ」という場面で
突然怒りの感情を使われると
びっくりして固まってしまう。

振り返れば
父親は怒りを効果的に使って
私を支配していたんだと感じます。



なぜこんなにも対等を怖れるのか。
それは、見せかけだけで
中身がないから。

長年観察してきて
最もおさまりの良いアイデアです。

自分は
「お前が何をすれば
しあわせになるかを知っている」
みたいに言ってきますが、
そんなの知らなかったんですね。



父親が大切な存在だから
例え自分に犠牲が出ようとも
父親が喜べば、良い。

そんな無意識の価値観のおかげで
長い間支配され続けていました。


そんな状況は、イヤです。
無意識下の目的を実現してはいるけど
それは生きる目的は変えたい。

ロケットが重力圏を離れるために
すごいエネルギーが必要ですね。

そんな感じで
なかなか抜け出せなかった自分ですが
心底「もうやだ」と
状況を変える力の源は
やっぱり怒りでした。



食い物にされるような
生き方は、今後はいやだ。
本当にいやだ。

積年の恨み、みたいに
すごい心の力、
密度が濃くて
回転速度がとても速くて
ちょっと触ると
弾き飛ばされるような、力。

自分をこれ以上犠牲にするのは
もうイヤだ、という思いが
つもりに積もった感じです。

それを、
支配してこようとする親に向けたら
自分の支配権をしっかりと
手にすることができました。



親が変わることを
期待していた期間が
長かったように思います。

でも、変わりません。

自分が変わってみたら
変わりました。



支配して
優位な状況を生み出すことより

対等を実現することに
怒りは使えます。

その目的を平和とすると
互いに役立つ感情、ですね。





お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ7年目、常楽でした。



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