ヒサくんの痛快なこの回答(笑)

 

 

 


 

受け取りたくないものを

 

 

受け取らなければかならず持ち主に戻る、、、かは断言できないけど、

 

 

 

 

 

受け取らなければじぶんの荷物にはならない。

 

 

これは間違いない。

 

 

 

 

 

 

間違いないんだけど、

 

 

要らないのに

 

 

問答無用で押し付けてくるひとがいるから、困るんだ、これが。

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなときはどうするか?

 

 

 

 

 

 

 

 

「要らん!」

 (注:もう少し品のある言い方もできます)

 

 

 

 

って言ってやれ。

 

 

 

ほんとうに面と向かって言えばいい。


 

 

 

 

 

そこまで言わないとわからない、って

やっかいな世の中だけど、






要らないものを受け取"ってあげる"ことは

優しさでも

思いやりでも、ないから。

 

 


 

じぶんを後回しにして

相手を先にして

じぶんをないがしろにしてるのと

おなじだからね。


 

 

 

 

 



 

 

またパートのかたが急に辞めてしまった。

きちんと仕事ができ、親切で気のきくとてもいい子だったので、

様子がどうしてもおかしいとおもったので、

そっと何かあったのかを聞いてみた。

(本来わたしの役目ではない)





直接の理由は人間関係で、

おなじ時期に入った子とさいしょは仲良く仕事できていたが、次第に合わなくなって…、という。




合わなくて、というより、

小学生の子がいるので学校行事などでシフトに入れないことがあると、それが気に入らないらしく、陰口を言われるようになったと。




さらには、彼女たちのリーダーも、そっちの子の肩を持つようになり、最終的にそのことで気持ちよく職場で過ごせなくなり、辞めることにした、と。。






もしそうだったなら、

言ってくれていたら…というと、

職場で波風をたてると雰囲気を壊してしまうかとおもって、と。








波風、たててもいいんだよ。



だって、何ひとつ悪くない。



むしろ、

陰口をいう人や、

それを味方するバカのほうがよっぽど

わるい波をたててる。






職場で鬱になって出てこれなくなった子を

守れなかった管理職たちをみて、


もうここの職場に遠慮なく波風たてまくって

よい職場にしてやる!と決めた。




わたしはよい職場に変えていきたいので、

彼女のような、互いに敬意をもってひとと接することのできるひとに、長くいてほしかったです。

陰口、中傷、要らんわムカムカしょーもない。








台風はいやなものにおもうけど、

海の水をかきまわすことによって

水温を下げ、

海に済む生き物たちに栄養を送り、

地球をまもる作用となっているそうです。







大好きな能登で今度は

酷い水害が起きてしまって、

胸が痛んでたまらないし、

早くなんとかしてあげてほしいとねがっている前提で、




洪水は人災だと思うので、

台風が悪いわけではなく、

そこを間違えないマインドで在ろうとおもっています。









 

 

 

 

 


 



 

 

 

 

先日、労働基準監督署で従業員就業規則の作り方説明会があり、参加してきたのだけど、

 

 

 

そのなかで、

ハラスメントについて臨床心理士のかたからの講話があって、

 

 

 

それを聞いて感じた違和感について。

 

 

 

 

 

 

話しの内容は、

職場でモラハラを受けたひとがあれこれどうなって、

モラハラしたひとが異動になって、

どうのこうの、という、

よく聞く、よくある話しだったのだけど、

 

 

 

 

違和感を感じたのは、

臨床心理士が

モラハラを受けた側を「被害者」、

モラハラした相手を「加害者」、

という言い方をしてた点。

 

 

 

 

被害者?

加害者?

 

 

 

 

 

 

なんだ?そのままごとみたいな分類わけ。

 

 


持って行く方向がまちがってないか?

 

 

 

 

早い話しが、

会社がやっかいごとに巻き込まれないように、

誰かに責任を負わせて終わらせるためのセッティングじゃないの?

 

 

 

 

そんな片棒を

臨床心理士がかついでるの?

 

 

 

 

さらに恐ろしいのは、

加害者を罰することが正義だと言わんばかりのご様子だったこと。

 

 

 

 

 

どっちも大切な従業員だよ?

ひと、だよ?

守るべきは、ひとじゃないの?

 

 

 

 

 

 

ほんとうにいいなとおもうのは

ふたりが心を通わせられることじゃないの?

 

 

 

 

 

 

そのためのサポートは

誰がするの?

 

 

 

 

 


 

まるでマニュアルに沿って対応するかのように

被害者と定義したひとを

腫物でもさわるように扱い、

ほんとうの被害者にしてしまっていないか?

 

 

 

 

 

 

 

講話を聞きながら、

疑問と

胸糞悪さでいっぱいになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この当事者たちは、

会社での立場、みたいなものをとりはらって、

一個人として、

ひとりの人間として、

じぶんの感情に向き合わせてもらえたんだろうか?

 

 

 

 

 

そして

おたがいにちゃんと意思をぶつけてみることはできたんだろうか?

 

 

 

 

 

もし、それができていたなら、

まったくちがう世界が生まれたはず。

(わたし経験者)

 

 

 

 

 

 


 

 

ほんとうなら、

こういう状況を解決すべきは

臨床心理士でも心療内科でもなく、

「その上の上司」じゃないか?

 

 

 

 

 

 

その上の上司が、

部下たちの問題を解決するべき。

どちらも大切な従業員なんだから。

これが機能していないのが、元凶じゃないか?

 

 

 

 

 

 

 

臨床心理士のかたの話しでは

けっきょく話題のひとたちは

上司は別の部署へ異動となり、

心を病んだ部下は職場に復帰はしたけど、

部署はちがっても業務上まったく関係がないわけではないから(当たり前だよねおなじ会社なんだから)

その上司から電話があると身体がかたまって声がでなくなる、という後遺症が残りました、

という話しだった。

 

 

 

 

 

よくある話しだ。

何の解決にもなってない、お手本だ。

 

 

 

 

 

 

会社が規則上、裁判のような争いが起こらないようにできただけ。

 

 

当人たちに不消化な傷を残しただけだ!

 

 

 

 

 

環境を変えたところで、

心は消化できないよ?

 

 

 

 

 

 

 

 

世の中がひとの心を失い過ぎてる。

おかしすぎる。





臨床心理士は

何をする仕事なの?


 









話しを聞いている限りでは、

当事者はサイコなひとでもなんでもなかったので、

残念で仕方ない話しだった。




 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

わたしは、この当事者たちは仲良くなれる気しか、しないです。

そっちの世の中のほうがずっといいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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きのう記した記事

 ↓

 

 

が、ちょっと直接的すぎたかな、とおもったので

アメンバー限定にしぼりまして、

(アメンバーいないですが)

 

 

 

 

 

でも、伝えたかったのは

 

"ちゃんと怒ってよかった"、

"ぶつかってよかった"、

 

ということだったのと、

 

 

 

そのプロセスも、

誰かの役に立つかもしれない、とおもったし、

 

 

 

ほんとにいいほうに進んだな…という実体験なので、

リライトしてみたいとおもいます。

 

 

 

 

「ちゃんと怒る」は、

いまの日本人に必要な気がするのです。

 

国民を大切にしない国は

国民に対してDVしてるのと変わらないです。

 

そしてそれをまんまと受け続けている国民も

ダメなのです。

 

怒らないといけないんだ。

「私らを大切にしろ!」って。

 

 

 

 

 

 

 

職場でわたしはしばらく、

業務上言われなき妨害 を受けていたことがあって、

 

 

そのせいで、

嫌な思いや怒りで頭がいっぱいになる日々がありました。

 

 

業務上言われなき妨害、

というのは、表現するとしたら

「その人の不機嫌を私に八つ当たりされていた」感じ。

(そんなん知らんし、って感じなのですが)

 

 

帰りの車のなかで、

ぶちきれながら帰ったこともしょっちゅうでした。

 

 

 

そんな思いを抱えながら、

なんとかじぶんの気分を消化しようと

ごまかしながら書いたのが以下のブログたちです。

 

 

 

 ↑

 リアルにイヤな気分が抱えきれずに何とかする方法を探していた。

 

 

 ↑

 私には価値がある、違う道を見つけよう、

 という気持ちで書いていた。

 

 

 ↑

 私が感じることは私のなかでは正解。

 私の感情は変える必要がないし、それはやってはいけない。

 という気持ちで書いていた。

 

 

 ↑

 畑のことを書いているようで実は私が現実社会から逃げたかったのを、

 ものすごく遠まわしに遠慮して書いた。

 (涙ぐましい)

 

 

 

 ↑

 出勤前に気分を良くして、少しでも気分よくいこうとする努力をしていた。

 

 

 

 ↑

 植物たちがありのままで生えている光景が、とても羨ましかった。

 だから、好きに生えているままにした。

 

 

 

 ↑

 そうした努力に疲れ果ててしまい、(当たり前だ)

 休もうとおもった。

 

 

 

 

 

 

そしてついに。

 

その妨害行為が、ダイレクトに経営に影響を及ぼすぐらいのことに発展した(ことにさえ彼女は気づいていなかった)ので、

 

 

 

これはもう言わないとダメだとおもい、

 

 

 

人間同士だ、

ぶつかってわかりあえることもある、

 

 

 

そうおもい、

いったい何をやっているのですか!説明してください!

と、隣りの部屋まで聞こえるぐらいの大声で言ってやった。

(隣りでは「ヤバイ、女同士で争いが起きてる!」とリーダーの子に連絡をしてたそうです(笑))

 

 

 

 

 

このとき彼女が持っていた不満を口にしたので分かったのですが、

それはわたしにはまったく責任のないことだったので、対話が成立しませんでした。

 

 

 

 

で、その後どうなったか?と言うと…

 

 

 

 

この一件で、

彼女の上のリーダーや上司たちも事の始終や事態をやっと認識してくれたようで、少し働きかけてくれて、

少し、マシになりました。

 

 

 

 

今はもっとマシになりました。

これは、リーダーや上司たちのおかげ、というより、

彼女はさほど悪い人ではなかったおかげです。

 

 

 

 

 

 

 

でも、いまおもえば、

わたしはもっと前に怒ってもよかったな、ともおもう。

 

 

 

 

ブログにさえまともに吐き出すこともできず、

なんと遠まわしに、0.0001%ぐらいのうっすーい濃度でしか気持ちを出せていなかったのは、じぶんが可哀そうになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

相手にぶつかることは、

人は分かり合えるはず、という

「人」としての信頼が無いと出来ないのかもしれない。

 

 

 

 

 

でも、もしそれが無かったとしてもやっぱり、

ぶつからないといけないこともあるとおもう。

 

 

 

 

 

ぶつかってもどうにもならないかもしれない。

 

 

 

むしろ、

やっかいごとに巻き込まれるほうがいやだ、

とおもうひとが多いんだろう。

 

 

 

 

 

 

でも、こっちにも感情があるんだぞ、と

示さないといけないときはある。

 

 

 

 

嫌なことは嫌、

やめろ、

と、示すこと。

 

 

 

 

 

 

もちろん、

暴力が起きる可能性のある相手からはすぐに逃げましょう。

 

 

 

 

 

 

最後に。

これがとても参考になります。

 ↓

 

 

 

 

 

 

世界に幸あれ。

「和を以て尊しと為す」は

荒波を立てないようにする、

ではないよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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