りさママのブログ(AML治療とその後) -237ページ目

12日~15日の理沙の日記

理沙にノートを渡して、それに毎日なにか書くように言ってある
それを写してきたからアップしておこう

今日は今から地下鉄に乗って
一時間以上かかって帰るし、マメにやるのは難しいから
まとめて携帯からアップしようと思う

12日
今日は検査とかいろ×いろあった〓
つかれたーー〓
夜、全部ごはんたべたっっ〓 久々!!
ミルクティーゼリーわおもしろい味
字汚いみたいな〓
今から〓時間〓
明日いっぱいねるらしいからやったね〓
ちりょうがんばろーー〓
そんぢゃ今日も1日おつかれっ〓〓

13日
今日はねむい日〓〓
ずっとねてた。

はこばれるとくもねてた。戻ったらお母さんいたらしくてびっくりした。

まだ11時ぐらいと思ってたら1時すぎててごはんあった。
ひるごはんはうちの好きなエビフライがあった。でも衣があつかった。
朝のご飯まずすぎ、夜は昨日と同じくへんなかんてんが出た。
みんな明日から修学旅行だ。

うちの分までたのしんでくるって何回も言われた

14日
今日は雪合戦とかしてたのしかった
途中からかおり姉ちゃんきてしゃべった
なんかたのしかった
みんな修学旅行たのしんでるのかな
やっぱ行けばよかったのかも
こうかいしてもおそいしね。
今日のごはんわぜんぶまずい〓
お母さんのグラタンとポテサラばりおいしかった〓
またたべたいなー

15日
今日はお母さんとけんかした。
けどすぐ仲直りした。
ごはんがあんまり入らなくて〓〓
しかもずっとねてた。
ねつが少しあったからおふろ入れなく仕方なくふいてもらった。
今日は本当にしんどい1日だった
ねむいし吐き気するし頭いたいしフラつくしすわるのもちょっときつい
体力なくなってきたかなーって思う
明日からはまたいろいろがんばるっ
ハンバーグおいしかったー〓

1月14日

昨夜2時ころ理沙から電話がかかってきた

目が覚めてさみしくなった、トイレが間に合わなかった

そう言っていた

本当は泊まり込んで一緒にいてやりたいって思うけれど

下の子いるしまだそこまで重症ではない

理沙も私もまだもう少し我慢だ


最近は私にメールしてくることが多くなった

そしてそれには「寂しい」とか「早く来て」とかそういう事が書かれていた


今朝も「何時にくるの?」「早く来て」と言って送られてきた

そのうち電話がかかってきて 「早く来て」 と言ってきた

私は友達の定食屋の手伝いをしているのでいけるのは昼すぎになる

でも半泣きで言ってくる理沙が可哀想で旦那が行ってくれる事になった


昨日旦那と二人の時に 「うち死ぬのかな」 などと言ったり

バスケができない悲しさを打ち明けたりしていたようだったし

旦那との絆は大きいのだろうけど、やっぱり女の子なので母に頼りたいのかもしれない

旦那がそばにいるにも関わらず地下鉄で行く間中

「今どこ?」「まだまだやん」「早く来て」とメールが来ていた

それでずっとメール交換しながら地下鉄に乗っていた

地下鉄の中で走りたい気持ちだった

そういうのだけでかなり精神的に焦ってしまったりする

もっと余裕を持ってど~んと構えて、理沙の言葉に振り回されないようにしないと

私の精神力も滅入ってしまいそうだ


今日は希望されていた「グラタン」と「ポテトサラダ」を作って持って行っていた

昨日「うちも雪合戦したいよ~」と言っていたので庭の雪を袋に詰めて

それも保冷剤とともに持って行っていた


ついてすぐ雪を取り出し理沙に渡した

横になっていた理沙はしばらくして起き上がり、にやりと笑って私に雪を投げつけた

病室だけど、理沙が楽しければそれがうれしい

それからきゃーきゃー言って雪で遊び笑い転げた

ふらつくはずの理沙なのにそのうち立ち上がって私めがけて投げて笑った

床は水浸し、でもそれは私が掃除すれば済むことだからよし!だ

最後は雪だるまを作って記念撮影した


散々遊んで笑って理沙は1時間くらい寝た

朝は気分が悪くて食べれなかったらしいけれど昼は少し食べたらしい

3時ころ起きた理沙は今日もまた頑張ってシャワーをし

そのあと私が作ってきたグラタンとポテサラを完食した

そして入院して毎日食べているアイスも希望した

夕食も不満をいいながらもある程度食べた

一人じゃなくて私が食べろ食べろというと入るらしい

食べれてる間は体力もつくし、見ている私も安心する

食べる事がだいすきな理沙が食べなくなったら本当に悲しいと思う

でも本当に副作用が出てきたら食べれない時も出てくるだろう

それまでは毎日何か作っていこうと思う


看護師さんも理沙のしっかりした姿や食欲にすごいね~と感心していた


夕方私が帰る時間になってきたら寂しい顔をし始めた

そして初めて「なんで帰るの?」「嫌だ」と口にした

あまりに可哀想なので旦那がくるまで待って交代することにしたが

「おかーさんいてよ」と言う

でも下の子にも寂しい思いはさせれないのでそこはお互い辛抱だ


帰ってる途中でも理沙からメールがきていた

下の子からもメールがきていた

どっちも大事な子供だからどっちにも寂しい思いはさせたくない

体が二つあったらいいのに、などと思いながら地下鉄に乗っていた


帰宅してからも理沙からはずっとメールが来ていた


旦那が帰るため10時に部屋を出たらすぐ

「お父さん今でてった」 と電話があった

そして「寂しい」「怖い」「明日はお弁当配達やすんで早く来て」といいだし

そのうち「うちに帰りたいよ・・・」 と泣きだした

とっても可哀想だったが明日もママの手作りご飯持ってくから~と話し

何にするかで盛り上がりだした

「明日はおからハンバ-グを持っていくつもりなんだ~」という私に

「おから~!?それはいらないかも~」と笑い始めた

よしよし!笑った!と思いながら喋っていたら

「うち、家族で鍋が食べたい」 と言いだした

「じゃ、明日鍋持っていくわ!ママと食べよう!」

「そんなん無理やん」

「大丈夫!なんとかする!中身は何にしよう?」など話をして盛り上がった


そのうち「理沙眠たいから寝る・・・」といい電話を切った

麻酔で朦朧としているから、いつも本音で訴えてくるし、少しでも不安が解消されたら

眠気が襲ってくるのだろう

本当に可哀想だけど、頑張るしかない


明日も何があるかわからない

MRIの結果も聞かされてないし不安は付きまとう

でも今日理沙が笑ってくれたことを思い出し休もうと思う

とにかく私も頑張らねばならないから。


今日は理沙が将来看護師になろうかなとか栄養士になろうかなとか

そういう話してきてくれたこともうれしかったし励みになった

なんとなくの話だけど、ほんと今日も一日いい日だった


1月13日

12日に骨髄穿刺をした理沙のことを書いておく


骨髄穿刺は痛いので麻酔をしてやる、と聞いていた

全身麻酔まではしていないけれど、理沙は意識なく寝たまま部屋に戻ってきた

麻酔とはわかっているけど意識がない理沙を見てとにかくすごい不安になった

目覚めてからも意識はぼんやりとして、喋る言葉もスローである

子宮がんで亡くなった智子さんの時を思い出さずにはいられない雰囲気で怖かった

しばらくして意識が戻って笑って過ごせた時はほっとした

そんな感じで何を見ても不安や恐怖がつきまとう


13日は昼に病院に行ったのだけれど理沙はいなかった

昨日話していた脳転移を見るためのMRIを撮りに行っていたようだ

戻ってきた理沙は眠っていた


その日は抗がん剤の治療が始まっていた

まずは一種類の抗がん剤らしく、それは朝のうちに点滴で入れたらしい

それの副作用の吐き気などを軽減させる麻酔みたいなものは

一日中入れているようだ


「驚くほど一日中寝ていると思います」

と先に言われていたのだけれど、その麻酔みたいなののせいで寝ていたのだ


そのうち目がさめ、私が来てる事に気がついて手を伸ばしてきた

近くに行ってその手を握って大丈夫?と聞く私に理沙が色々喋りかけてきた


「おかーさんのご飯が食べたい、おかーさんの作ったお菓子が食べたい」

「なんでうちここにおると?」

「うちって保険入ってると?」

「うちのでお金沢山いると思うから、うちのお年玉お父さんに渡したいんだけど」

「それでも足りんかもしれんけど・・・」


それは無意識に思ってるままを伝えているらしく意識がしっかりした時には

その時喋った事は何一つ覚えていなかった

それだけにその時喋ってくれた事は今でも思い出したら涙が出そうだ

理沙は本当にしっかりしてて優しくてとってもかわいい子だ



理沙は一日中ぼーっとしているし、3時間起きてて1時間寝る感じで過ごしていた

寝起きは喋り方がすごくスローである

そういう時、理性とかそういうのがなくなるようで甘えた事言いだしたりもする


寝起きはふらついたり、スローな喋り方をするけれど

しばらくするとかなり復活して元気ないつもの理沙に戻る

そしてそういう時に笑って過ごしていた


その日「お風呂どうしますか?」と看護師さんに聞かれた

治療三日目くらいになると副作用がしんどくてシャワーもできないかもしれないと

言われていたのでどうしても入れたかった

ちょっとしぶってる理沙を説得してシャワーすることにしたが

ふらつくし体も重いらしい


でもシャワーでは笑い転げた

ここ数日体や頭を洗ってあげたりしていたのでその日も洗ってあげてたのだけれど

途中で 「うち明日は自分で洗ってみる」 と言いだしたのだ

びっくりして 「できるの?」 って聞いてみたら

「昨日までは手の甲に点滴してたから手全部にビニールかけられてたけど

今日は腕になってるから手が使えるって気がついた」

「え~~~~!!!全部洗って今頃気がついたとか言う~~?!」

「早く言えっちゅーねん!」


それでひと笑いして、さあ体をふこうとしたらタオルがない

私も裸になってびしょ濡れ状態なのにタオルがないのだ

「どうする~?」

「おかーさん取りに行ってよ!うち病人なんやから!」

「え~、そんなのに病人とか関係ないやんか~」

そう言いながらも裸で病室を走って取りに行った私を見てまた大爆笑

とにかくなんでもかんでもおかしくて楽しくて仕方ない


昨日お母さんの作ったケーキが食べたいと言っていたので

チーズタルトを作って持ってきていた

それが申し訳ない事に少し失敗作だったのだが

「おかーさん、うち大成功のチーズケーキが食べたい」と言って笑っていた

「ブツブツ言わずに感謝して食べなさい!」

そんな話でも笑い転げた


話は前後するけれど・・・

昨日バスケの保護者に白血病であることをメールで送った

仲のいい友達にも電話したりメールしたりした

白血病であることを周りにも知ってもらって堂々としていたいと旦那が決めたのだ

それで周りから暖かいメールを沢山いただいた

これは読みながら涙がこぼれそうになった

電話で泣いてくれる友達もいた

電話を切った後も不安で手が震えているとメールをくれた人も多かった

ありがたい思いだけれど、その人たち一人一人に経過を報告できないので

逆に心配かけたままになってしまうことも申し訳なく思う


理沙も携帯で友達に何の病気か伝えていた

夜うちに帰っていた私に理沙が号泣しながら電話してきた

「うちのために泣いて電話してきてくれた・・・」

言葉に詰まるほどすごく泣いていた

それは自分に自信がなく、友達関係にも踏み込めない臆病な理沙にとって

それだけ泣けるほどうれしい事だったのだ

本当にありがたかった

いくら家族だいすきな理沙でも、中学生にとって友達の存在は大きいと思う

そうやって泣いて心配してくれる事で自分に自信を持てるようにもなれるだろう

この病気で得るものは大きいとも思った


理沙の周りの友達、私たち夫婦を心配してくれる周りの人に

本当に感謝の思いでいっぱいである


夜に時間をさいて来てくれた仲良しの友達にもとても感謝です

これからもどうぞ暖かく見守ってください

1月11日、12日

11日、12日ともいろいろあったけど毎日色んな事がありすぎて

その都度泣きその都度立ち直り復活している


11日は下の子と理沙を合わせた

可哀想だけど、理沙はずっと熱があり動くのは

しんどかったみたいで、デイルームまで出てきては

きつそうな顔をしていた


病棟は15歳以下は立ち入り禁止である

なので会うのはエレベーター近くにある 「デイルーム」

というみんなが使用できる喫茶室みたいなとこでしか会えない

理沙はそのうちここにも出てこれなくなる

なので下の子と理沙が会えるのはしばらく無理だろう

すごく心配して会うのを楽しみしていた下の子だったけど

理沙のしんどそうなだるそうな顔を見てふざけて話しかける事も出来ず

もらった賞状をちらっと見せて「もらったんだよ」と報告していた

優しく周りの状況を色々判断できる下の子だけに

気を使っているのが可哀想だった


理沙は携帯を買ってもらって大喜びでそれに夢中だった

いつも手放さずあれこれ触って楽しんでいた

お友達にもアドレスを知らせ早速メールしたりしていた


部屋に戻ってからもデイルームにいる下の子と私たちの携帯を使って

メール交換して話ししたりもしていた

その携帯でのやりとりは毎日やっている

特に何を話しているわけでもなく「やっほー」とか

そういう内容のものが大半だけど、

そういうのが姉妹でそういうのが普通で楽しいんだろうと思う


この日はうちの親も来た

まず私の生みの母がとんできてくれた

節子お母さんは理沙が生まれた時おうちに里帰りさせて

もらったりしていたし、その後あまり付き合いはなかったが

知らせておくべきだと思った

電話してすぐ来てくれたようで私たちが病院に行ったらもう来ていた

理沙にお年玉をくれ、何がほしい?と聞いてくれたりもした

彼女も介護で疲れ果てているだろうにありがたいな、と思った


関西に住んでいる父と育ての母はラッキーな事に

九州を旅行している最中だった

それで熊本にいる姉を拾って夜にきてくれた

エレベーターの前で三人の顔を見たら涙がこぼれた

病室に行って父も母も無口だったが、熊本にいる姉は

たまにうちに来ていたりしていたので

理沙が分かる従妹の話を色々してくれた


みんな飛んできてくれてありがたかった

でも感染症が致命傷になるので、しばらくは誰にも会わせられない

なんかこの日は人にたくさんあったせいかとにかく疲れた


12日は下の子が学校に行ってから出かけた


ここ三日ほど毎日病院のお風呂に入れてあげていた

165センチのふくよかな彼女をお風呂で洗ってあげたりするなんて

考えた事もなかったが、大きい体を洗ってあげながら

彼女は恋をして結婚しなきゃいけないんだから・・・などと

考えたりもした

頭を洗ってあげてるときは逆に小さい子みたいでかわいかった

髪の毛洗ってあげてる最中に 「うち髪の毛なくなるんだよね」

とつぶやいたりもしていた

髪の毛の話をするときはいつも笑って答えていた

「ウイッグはロングのふあふあのにしてね!おかーさんもつけるんだ~」

「クルンクルンのやつも買って、理沙がふあふあのつけてる時は

 おかーさんは病室でそれつけとくから」

「ピンクとかもよくない?」

なんて話す私に

「うちは絶対ショートやけん!」

「ふあふあのとか絶対買わんけん!」

「え~~~!!! 一個だけふあふあ買ってよ~~~!

「絶対いや!きもっ!」

なんて理沙も笑って答えてくれていた


点滴カバーをしてるだけだから自分で洗えないこともないで

旦那からは「甘やかしすぎ」と言われていたが、

お風呂入れてあげたりそんな事しかできないのだから

とにかくなんでもしてあげたかった

それで家族では 「お姫様」 と笑ってちゃかしたりしているほどだ


私が病室にいる間はとにかく笑って過ごしていた

私が何かしらふざけてそれに対して理沙が笑ってくれると

楽しくて仕方なかった


院内学校(学級)の話もしに行ってきた

病院で調子がいい時にそこに通って勉強をするらしい

これからどんなしんどさが待ち受けているか不安だらけなのに

そんなとこで勉強することができるのか、など思いながらも

とにかく行ってみてくださいと言われるから行ってみた


そこでは自分で勉強を進めていくシステムらしく

学校に復活した時に遅れをとってない状態にしておくらしい

出席日数もそこに通って稼ぐらしい

わからない事だらけで色々質問したけれど先生は

「おっしゃってることがわかりません」などと言われ

なんとなくあんまり好きになれない先生な気がした

でもそんな事も言ってられない

とにかく勉強嫌いな理沙もここで自分でやっていくしかないのだ


そして私も違和感を覚えたのが 「転校」 という言葉だった

手続き上のもので治ったらすぐ元の学校に帰るらしいのだが

いったん転校手続きをしなければいけないと言われ

学校に書類を取りに行くように言われた

転校っていう響きは理沙も旦那も嫌だったらしく

みんな嫌な顔をしたが仕方ない


その日は中学校に行って話をしなけれないけなかったので

夕方5時ころに病院を出るつもりだった

帰る前に書類手続きをしてくるように言われ

一階の相談室見たいなところに行き必要な書類を聞いたりした

そこで「特定疾患患者」 の書類に重症と書かれていて

相談係りの人から

「こちらは重症認定がおりなければ使えないもので

娘さんの場合脳への転移や骨髄浸潤があると記載があるので

大丈夫だとは思いますが、もしこちらを使えなかった場合に

高額医療の手続きもされておいてください」 と言われた


脳への転移?

骨髄浸潤による転移?

そんなの聞いてない・・・


私は書類の説明も上の空で走って部屋に戻り

旦那を外に呼び出して泣きながら

「先生に聞いて!先生に聞いて!」 と取り乱した

先生に聞いたところ、まだ検査結果は出ていないので

それはわからないのだけれど手続きを進めるうえで必要なので

書いただけで今の状態はお話した通りしかわかってません

そんな話だったようだ


私はその可能性もある、まだ検査結果が出ていない・・・

それだけでショックで泣けた

旦那から「なく気持ちはわかるけど、お前もう少し

理沙や先生を信用してやれよ」 と言われたが

どうしてそんなに強いのか羨ましくなった

いつも強く前向きな旦那は本当に偉いと思うし、

助けられてるし、尊敬するな~と思う

だけど、私みたいな気持ちで不安で仕方なくなる人間は

なかなかそうはなれない

自分の中でそういう出来事を解決(?)するには時間がかかるのだ

今までなら一日かかった、今はそんな暇はないけれど

やっぱり数時間は必要だ

それにはひと泣きも付属でついてくる

優しくしてほしいとまでは言わないが、

理沙や先生を信じてやれてないわけではない

ちょっと責められた気がした

そしてその強さを私に求めないで、私にあきれないで、と悲しくなった


その話と同時進行で同居についても話し合った

私は同居は嫌だと思っている

理沙をこのうちに戻してやりたいって思う

そしてストレスになるような私の環境を何一つ変えたくない


理沙といるときは理沙のことしか考えられない

帰ってきたら恵理奈の事をかまってあげたい

そして夜は誰に気兼ねすることなく泣きたい

友達と電話して話して自分の中で悲しかった事を前向きに解決したい

誰にも気を使いたくない

お家の中で誰かに気を使わなければいけない状態はとてもじゃないけど難しい

旦那の親はとても優しい、とても信用できる、とてもだいすきだ

でも、それでも飲みたくない時にお茶を入れてもらって

ありがとうと言わなければならない

食べたくないのにご飯を出されたら苦痛でたまらない

泣きたくても泣けない

私のわがままなのだけれど今私の環境を変える事はとにかくつらい

金銭的問題なので仕方ない、とは思っても理沙のためには

私の体調も整えなければならない

私のその苦痛は理沙の大変さに比べたらどうってことないとは思うけど

でもそこの精神的部分は大きいのだ

旦那が仕事も頑張ってくれたらなんとかならないだろうか

彼には申し訳ないけどとにかくそれしか思えない


そんな感じで同居の話のストレスも私を苦しめている


一日笑ってすごして平和な日だったのに、最後の書類一枚で

私はまた泣きながら夜を過ごさなければなくなった

何を見ても怖いし、何を見ても不安になるし、何を見ても泣きたくなる

でも、理沙の前ではとにかくいつもゲラゲラ笑って楽しく過ごしている

一緒に笑ってくれているそれだけですごく幸せだ

1月10日の事

10日は何が起こったんだっけ・・・

先生から告知があったのか・・・


この日は下の子がバスケの試合だった

普段は私が下の子担当のようになっていてバスケの試合は

私がメインで見に行く事が多かった

でもこの日は旦那が行ってくれた

彼もそれどころではなかっただろうけど、

下の子の気持ちをくんでやってくれのだ

私はそれどころではなかった


朝から病院に行って何も知らない理沙とずっとずっと笑い転げて過ごした

ベッドの上で二人でゴロゴロして 「楽チンだね~」 と言って過ごした

理沙には昨夜から

「貧血がひどくて普通の人の半分の血の薄さしかないから

 それを治療するみたい」

と言ってあった。

実際数値はヘモグロビン6 と普通の人の半分で

看護師さんからトイレに行くのにも車いすを進められていた

でも理沙は 「やだ~格好悪い。全然平気なのにね」 と笑って断っていた。

すごい元気ですごい明るい理沙を見てると何もかも忘れていられた。


しかし、その日の夕方には「白血病でもどの種類のものか」

を先生から聞かされることになっていた

それは後どれくらい生きられるか、どれくらいの確率で助かるか

それを聞かされる宣告である


夕方旦那と旦那父が一緒にやってきた

一睡もしてない旦那が運転がやばい、と義父に頼んで

連れてきてもらったのだ


結果から書くと娘は

「小児急性骨髄性白血病」であるということだった

「助かる確率は50~60パーセント」であるということも聞いた


主人は昨夜ネットで調べていた確率よりもはるかに高かった事で

安心感を覚えたし自信が出た、と後で言ってたが私は涙がこぼれた

それから病気の治療法についても説明があった

「リンパ性と違って、骨髄性は6か月の治療で終わります。」

「まず二回抗がん剤治療を行ってそこで三通りに振り分けられます」


1、低リスク 

がん細胞が激減しているので残り3回の抗がん剤治療に続く

2、中リスク 

がん細胞は減っているのだけど減り方が少ないので強い抗がん剤治療に続く

3、高リスク 

がん細胞が減らないので骨髄移植の選択肢を考える


あとは臨床治療になる、などといろいろな説明があった


それから娘を呼んで告知することになった


貧血で入院していて1週間くらい病院にいなきゃいけない・・・

そんな程度に思っていた娘は少しニヤニヤしながら入ってきた
まずは今週木曜日から行く予定だった修学旅行について話をされた

「行きたかったら行ってもいいんだけど、

しんどいから全部みんなと同じようには行動できません」

「バスで休むとかホテルで休むとかしながらだったら

行ってもいいですがどうしますか?」

そんな話だったが、修学旅行についてはこの時までに子供と話し合っていた

「みんなと同じように動けないならいかない」

彼女はそう言った


修学旅行に行けないのがかわいそうなのと、入院生活で必要なのとで

代わりいといってはなんだが、高校まで絶対に持たせないと言っていた

携帯を買ってあげる約束をしていたのだ

その時すごくすごく喜んで 「携帯くるなら修学旅行はいいや」 と言ってた


それから病名が白血病というものであること

治療しなければいけないので学校には半年はいけないということ

この半年・・・という先生の言葉で 「うち中体連でれんやん」 と言った

それから、治療はものすごくしんどく色んな副作用があるということ

吐き気、高熱、口内炎、下痢、そして髪の毛が抜ける、などがあるということ

髪の毛・・・そこで彼女の顔がこわばった

ほかにも簡単に説明をされて、子供用の説明絵本があるから

それを読んでみてねと本を渡された


病室まで戻る間に彼女は 「うち中体連でれんやん」 といい

「半年も学校行けんかったらうち不登校になるけん」と捨てるようにつぶやいた

私は 「不登校なってもいいやん、その時考えよう」 と言って歩いた

病室に帰ってから理沙は泣いていた

祖父も父も黙っていたが何か言わなければ・・・と私は

そばに寄って行き話しかけた


何を言っても無意味だって思っていたけど

「お向かいのみなちゃんは白血病で2年も3年も病院だったけど

理沙は半年だからさ」

「その間頑張るしかないね」

先生に言われた通り、できる限り明るい声で

事が簡単なんだというような雰囲気でそんな事を伝えようとしていた


理沙は 「お母さん何もわかってない!!!」 と私に怒鳴りつけた

その言葉に悲しくなったわけではなく、泣き続ける娘に対して

今は少し泣かせてやろうと思い主人も祖父もそのままに私は病室を出た

娘はバスケを頑張っていたので中体連に出れない、

学校に行く時には部活は引退している

それが何よりも何よりもつらいことなんだと思う

死と向かい合ってるなんて思いもしてないから、

バスケができないそれが彼女を悲しませる

たばこを吸いに行って、ぼーっとしてたら私も泣けてきた

50パーセントという数字は現実となって私を襲ってきた

私は声をあげて泣いた

涙も声もとまらなかった


外から戻ってこない私を心配して主人が電話してきた

「理沙は少し落ち着いたからおじいちゃんと一緒に一回うちに帰り」

と言われ泣きながら家に帰った

祖父母の家には下の子もいるし、とにかく我が家に帰りたかったので

そっちに送ってもらった

そしてそこでまた泣いた

1時間くらいして再び祖父の車で主人を迎えに病院に行った

そのあと下の子を迎えに行って、彼女にも簡単に白血病だって事を伝えた

病気がどんなものかわからないのだけど、悲しそうな顔して心配していた

病院に入院する前に荷物取りに来た理沙に抱きついて

「りーちゃん行ったら厭だ~」 と散々泣いていたが今回は泣かなかった


旦那は昨日調べた時に30パーセントとかっていう数字を見て

「もしかして覚悟はしなきゃいけないのかな」 という思いで一睡もしてなかった

今日50パーセント以上の可能性があると聞いてすごく喜んで

それなら理沙は助かる!そう思えたらしく笑顔もこぼれていた

そんな安心感か下の子を寝かしつけながらそのまま眠っていた

私は突きつけられたはっきりした数字にまたもや寝れず、怖くなって泣いた

寝なきゃと布団に入るが怖くて怖くて眠れなかった

起き上がり、下の部屋に降りてきてこの時間に唯一起きてるだろう

さおりちゃんに電話した


いろいろ話してるうちに私も理沙が助かる自信が出てきた

普通の人なら立ってられないような貧血数値で彼女は毎晩走っていたのだ

部活もある程度普通にこなしていたのだ

年末に新型インフルエンザにかかったのだけれど、

白血病だったのにもかかわらず、彼女はほかの病気を併発したり

倒れたりすることもなく普通に治ったのだ

理沙なら大丈夫

体力もある、気力もある、彼女なら50パーセントのほうに入るにきまってる

それ以外は考えられない


そう思えた私は急いで布団に入り、その気分のまま一刻も早く寝ようとした

怖い顔した幽霊たちが次々に頭の中に出てきたが、大丈夫大丈夫と思って

とにかく寝た


これが二日目である