1月11日、12日 | りさママのブログ(AML治療とその後)

1月11日、12日

11日、12日ともいろいろあったけど毎日色んな事がありすぎて

その都度泣きその都度立ち直り復活している


11日は下の子と理沙を合わせた

可哀想だけど、理沙はずっと熱があり動くのは

しんどかったみたいで、デイルームまで出てきては

きつそうな顔をしていた


病棟は15歳以下は立ち入り禁止である

なので会うのはエレベーター近くにある 「デイルーム」

というみんなが使用できる喫茶室みたいなとこでしか会えない

理沙はそのうちここにも出てこれなくなる

なので下の子と理沙が会えるのはしばらく無理だろう

すごく心配して会うのを楽しみしていた下の子だったけど

理沙のしんどそうなだるそうな顔を見てふざけて話しかける事も出来ず

もらった賞状をちらっと見せて「もらったんだよ」と報告していた

優しく周りの状況を色々判断できる下の子だけに

気を使っているのが可哀想だった


理沙は携帯を買ってもらって大喜びでそれに夢中だった

いつも手放さずあれこれ触って楽しんでいた

お友達にもアドレスを知らせ早速メールしたりしていた


部屋に戻ってからもデイルームにいる下の子と私たちの携帯を使って

メール交換して話ししたりもしていた

その携帯でのやりとりは毎日やっている

特に何を話しているわけでもなく「やっほー」とか

そういう内容のものが大半だけど、

そういうのが姉妹でそういうのが普通で楽しいんだろうと思う


この日はうちの親も来た

まず私の生みの母がとんできてくれた

節子お母さんは理沙が生まれた時おうちに里帰りさせて

もらったりしていたし、その後あまり付き合いはなかったが

知らせておくべきだと思った

電話してすぐ来てくれたようで私たちが病院に行ったらもう来ていた

理沙にお年玉をくれ、何がほしい?と聞いてくれたりもした

彼女も介護で疲れ果てているだろうにありがたいな、と思った


関西に住んでいる父と育ての母はラッキーな事に

九州を旅行している最中だった

それで熊本にいる姉を拾って夜にきてくれた

エレベーターの前で三人の顔を見たら涙がこぼれた

病室に行って父も母も無口だったが、熊本にいる姉は

たまにうちに来ていたりしていたので

理沙が分かる従妹の話を色々してくれた


みんな飛んできてくれてありがたかった

でも感染症が致命傷になるので、しばらくは誰にも会わせられない

なんかこの日は人にたくさんあったせいかとにかく疲れた


12日は下の子が学校に行ってから出かけた


ここ三日ほど毎日病院のお風呂に入れてあげていた

165センチのふくよかな彼女をお風呂で洗ってあげたりするなんて

考えた事もなかったが、大きい体を洗ってあげながら

彼女は恋をして結婚しなきゃいけないんだから・・・などと

考えたりもした

頭を洗ってあげてるときは逆に小さい子みたいでかわいかった

髪の毛洗ってあげてる最中に 「うち髪の毛なくなるんだよね」

とつぶやいたりもしていた

髪の毛の話をするときはいつも笑って答えていた

「ウイッグはロングのふあふあのにしてね!おかーさんもつけるんだ~」

「クルンクルンのやつも買って、理沙がふあふあのつけてる時は

 おかーさんは病室でそれつけとくから」

「ピンクとかもよくない?」

なんて話す私に

「うちは絶対ショートやけん!」

「ふあふあのとか絶対買わんけん!」

「え~~~!!! 一個だけふあふあ買ってよ~~~!

「絶対いや!きもっ!」

なんて理沙も笑って答えてくれていた


点滴カバーをしてるだけだから自分で洗えないこともないで

旦那からは「甘やかしすぎ」と言われていたが、

お風呂入れてあげたりそんな事しかできないのだから

とにかくなんでもしてあげたかった

それで家族では 「お姫様」 と笑ってちゃかしたりしているほどだ


私が病室にいる間はとにかく笑って過ごしていた

私が何かしらふざけてそれに対して理沙が笑ってくれると

楽しくて仕方なかった


院内学校(学級)の話もしに行ってきた

病院で調子がいい時にそこに通って勉強をするらしい

これからどんなしんどさが待ち受けているか不安だらけなのに

そんなとこで勉強することができるのか、など思いながらも

とにかく行ってみてくださいと言われるから行ってみた


そこでは自分で勉強を進めていくシステムらしく

学校に復活した時に遅れをとってない状態にしておくらしい

出席日数もそこに通って稼ぐらしい

わからない事だらけで色々質問したけれど先生は

「おっしゃってることがわかりません」などと言われ

なんとなくあんまり好きになれない先生な気がした

でもそんな事も言ってられない

とにかく勉強嫌いな理沙もここで自分でやっていくしかないのだ


そして私も違和感を覚えたのが 「転校」 という言葉だった

手続き上のもので治ったらすぐ元の学校に帰るらしいのだが

いったん転校手続きをしなければいけないと言われ

学校に書類を取りに行くように言われた

転校っていう響きは理沙も旦那も嫌だったらしく

みんな嫌な顔をしたが仕方ない


その日は中学校に行って話をしなけれないけなかったので

夕方5時ころに病院を出るつもりだった

帰る前に書類手続きをしてくるように言われ

一階の相談室見たいなところに行き必要な書類を聞いたりした

そこで「特定疾患患者」 の書類に重症と書かれていて

相談係りの人から

「こちらは重症認定がおりなければ使えないもので

娘さんの場合脳への転移や骨髄浸潤があると記載があるので

大丈夫だとは思いますが、もしこちらを使えなかった場合に

高額医療の手続きもされておいてください」 と言われた


脳への転移?

骨髄浸潤による転移?

そんなの聞いてない・・・


私は書類の説明も上の空で走って部屋に戻り

旦那を外に呼び出して泣きながら

「先生に聞いて!先生に聞いて!」 と取り乱した

先生に聞いたところ、まだ検査結果は出ていないので

それはわからないのだけれど手続きを進めるうえで必要なので

書いただけで今の状態はお話した通りしかわかってません

そんな話だったようだ


私はその可能性もある、まだ検査結果が出ていない・・・

それだけでショックで泣けた

旦那から「なく気持ちはわかるけど、お前もう少し

理沙や先生を信用してやれよ」 と言われたが

どうしてそんなに強いのか羨ましくなった

いつも強く前向きな旦那は本当に偉いと思うし、

助けられてるし、尊敬するな~と思う

だけど、私みたいな気持ちで不安で仕方なくなる人間は

なかなかそうはなれない

自分の中でそういう出来事を解決(?)するには時間がかかるのだ

今までなら一日かかった、今はそんな暇はないけれど

やっぱり数時間は必要だ

それにはひと泣きも付属でついてくる

優しくしてほしいとまでは言わないが、

理沙や先生を信じてやれてないわけではない

ちょっと責められた気がした

そしてその強さを私に求めないで、私にあきれないで、と悲しくなった


その話と同時進行で同居についても話し合った

私は同居は嫌だと思っている

理沙をこのうちに戻してやりたいって思う

そしてストレスになるような私の環境を何一つ変えたくない


理沙といるときは理沙のことしか考えられない

帰ってきたら恵理奈の事をかまってあげたい

そして夜は誰に気兼ねすることなく泣きたい

友達と電話して話して自分の中で悲しかった事を前向きに解決したい

誰にも気を使いたくない

お家の中で誰かに気を使わなければいけない状態はとてもじゃないけど難しい

旦那の親はとても優しい、とても信用できる、とてもだいすきだ

でも、それでも飲みたくない時にお茶を入れてもらって

ありがとうと言わなければならない

食べたくないのにご飯を出されたら苦痛でたまらない

泣きたくても泣けない

私のわがままなのだけれど今私の環境を変える事はとにかくつらい

金銭的問題なので仕方ない、とは思っても理沙のためには

私の体調も整えなければならない

私のその苦痛は理沙の大変さに比べたらどうってことないとは思うけど

でもそこの精神的部分は大きいのだ

旦那が仕事も頑張ってくれたらなんとかならないだろうか

彼には申し訳ないけどとにかくそれしか思えない


そんな感じで同居の話のストレスも私を苦しめている


一日笑ってすごして平和な日だったのに、最後の書類一枚で

私はまた泣きながら夜を過ごさなければなくなった

何を見ても怖いし、何を見ても不安になるし、何を見ても泣きたくなる

でも、理沙の前ではとにかくいつもゲラゲラ笑って楽しく過ごしている

一緒に笑ってくれているそれだけですごく幸せだ