YURIKAの囁き -9ページ目
<< 前のページへ最新 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9

「イルマーレ」


【ストーリー】

1997年末、海辺に建つ洋風の家「イルマーレ」。その家に引っ越してきたソンヒョンは、郵便受けに、ウンジュと名乗る見知らぬ女性からの手紙があるのを見つける。その内容は「このイルマーレに以前住んでいた者です。私宛ての手紙が来たら、新しい住所まで送ってください」と書いてあった。
しかし、この家は建ったばかりのはず。しかも、その手紙の日付は2年後の1999年となっている。不思議に思うソンヒョンだけど、その後も届くウンジュからの手紙で、現在と2年後のイルマーレの郵便受けとが、時を越えて通じていると信じ始める。ウンジュも、自分の手紙が2年前のソンヒョンに届くことを知り、2人は手紙を通じ、心の内を話していくようになる。
そして、2人は2000年に会うと言う約束を交わすのだった・・・。
【ネタバレあり】
まあ、日本ではチョン・ジヒョンが「猟奇的な彼女」でブレイクしたのをキッカケに、この作品の評価が出たと言っていいと思う。つまり、これは彼女のその可憐な存在があって初めて映画としての質を向上させているかなと・・・。
だけど、韓国映画通の人たちには、かなり高評価されているのも事実で、そのロマンチックな題材と、韓国映画特有のドラマ性が見事に嵌った作品になっています。
題材という話が出たけど、タイムスリップを扱うのはかなり緻密にプロットを練り、更にはかなり大胆なスクリプトも必要で、この無理のある題材に挑んだってだけでウチとしては評価したいな。
だけれど、その大胆さ故、描き切れない部分が多々あるのも事実。ソンヒョンと父親との関係、それは時間を戻せないが為、修復できない功罪。その部分の家族間の描写に欠けている気がする。このあたりがもう少し緻密に描かれていれば、この作品に「深み」が出たはず。韓国映画はこういうところ得意の筈なのになぁ(´ー`*)
時間が絡むストーリーには付きものの矛盾点はこの際置いとくとして、そういう矛盾点を覆い隠すほどに素晴らしいのは、ひとつひとつの「場所」と「物」の描き方。岬に建つ家、引潮になると歩ける浜辺。桟橋。ポスト。クリスマスツリー。こういったシチュエーションとアイテムが非常にファンタジックでいい。
韓国の風景も日本の風景もそれほど変わらない筈なのに、この映画で描かれる情景は、まるでフランス的だし、或いは、それは撮影の技なのかも知れない。絵としてのこの「場所」は、まるで絵葉書を見てるようで、幻想と現実が合い乱れて溶けていくかのよう。
韓国美人といったら、長い黒髪。それを定着させたジヒョンだけど、その東洋美がこの映画を一層際立たせていましたね。
そうそう余談ながら、韓国女性の美を意識して、髪を伸ばしてみようと思ったりした自分がいたり・・・∴>(▽≦*)ブッ!!

「ソウ」


【ストーリー】

バスタブの中で目覚めた男アダム。やっとのことでバスタブから這い上がったら、そこは闇。いきなり電灯が付き、自分とは対角線上に位置するところに、もうひとりの男がいた。彼の名はゴードン医師。
そして、2人の中央には死体がひとつうつ伏せに転がっていた。死体の手にはピストルとテープレコーダーが握られている。2人は足を太い鎖によって繋がれているために前には進めず、ただひたすら、自分たちの置かれた状況を把握しようと努める。そして、これを仕組んだ犯人と思しき人物から、色々と指示が出され、鍵やテープ、煙草や携帯といったアイテムを手に入れ、彼らは脱出の方法を模索していく。
一方では、こういった意味のわからない理由によって監禁され、無残にも殺された犠牲者が出ていた。犯人を追い詰めようと必至の捜査官。そして犯人が特定されたが・・・
【大いにネタバレあり ネタバレ注意報発令】
■こういう映画には多くを語りたくないんだけど語りますが(´ー`*) フッ まずこれは、「キューブ」にかなり近い設定。あれも、突然主演者たちがステージ上でスポットライトを浴びせられ、はいスタート!と号令をかけられる映画でした。「ソウ」もまったく同じ。ただ、こちらはもう少し現実感がある。囚われる人物たちも、それなりに犯人に反感を抱かれ、理不尽性がそれほどないし(='m') ププッ 犯人は世直し&必殺仕置人ってことで納得がいくかな。
それに、この2人が拉致されるまでのプロセス上で、すでに犯人と思しき人物が目の前に登場してしまう。ウチはこれには騙されなかったけど( ̄ー ̄;)フフフ
また、一方での展開では、この2人のように拉致され監禁された挙句、死のゲームを挑まれ、死に追いやられた人たちがいて、このゲームのルールとかが結構巧妙なので楽しめます(Sかウチは・・・(謎プッ) んで、捜査官たちも、もう一歩のところまで犯人を追い詰めるんだけど、負傷したために逃がしてしまい・・・
さっきの話で、ウチはこの展開には騙されなかったと言ったけれど、実はストーリー途中で、犯人が堂々と顔を出して、「ハイわたしがハンヌンです」と言ってる筈はなくて、これは後々、絶対落とし穴があると睨んでた。
この映画で、聞き漏らしてはならないのは「台詞」。「お前たちをいつも最前列で見ていた」、「生きていることに感謝しない」、ここにこの映画を読み解くヒントがあったんですね~オクサン
んで、2人の間に寝っ転がってる死体にも注目したい。医師であるゴードンは、何故死体が死んでいると決めつけたのか?この部分はネタを知りたい人だけ見てね♪
ここまで書けば、だいたい推理できまよねぇ~(`・ω・´)

「ミツバチのささやき」


【ストーリー】

1940年頃のスペイン中部カスティーニャ地方の小さな村。映写機を積んだ移動巡回トラックが村へと入っていった。
公民館の小さなスクリーンに映し出されたのはホラー映画の「フランケンシュタイン」。村人たちは息も付かずにスクリーンに見入っている。その中には、幼いアナと姉のイザベルの2人の女の子もいた。映画の中のメアリーが殺され、怪物のフランケンシュタインも殺され、アナは姉のイザベルに問う。「なぜ殺したの?」「なぜ殺されたの?」イザベルは後で教えてあげると約束して、その場は答えてくれない。
姉妹の父親フェルナンデスは養蜂の仕事をしている。母親のテレサは家の中で手紙を書いている。外国で暮らす兄弟宛てなのか、内戦当時の同志に宛てたものなのか、テレサは毎週のように手紙を書き、列車便に投函していた。
イザベルはアナに、フランケンシュタインは怪物などではなく精霊で、死んでしまったのではなく、村の外れにある井戸のある一軒家に隠れていて、「私はアナよ」と呼びかければ出てきて友達になってくれると話す。
アナは姉の話を信じた・・・。
■スペイン映画です。監督はビクトル・エリセという人で、この映画は彼の処女長編なんだけど、一作目にしてヨーロッパでは沢山の映画賞を獲得してしまった、まさに天才映画作家。その後は10年も沈黙し、「エル・スール」という二作目を監督。寡作な人です。
ウチはよく、映画を観て、この描き方ウマイわぁとか、この役者イイ味出してるわぁとか、この撮影技法はステキとか、映画そのものの娯楽性も考慮しつつ技術的なものに注意して観てしまう所があって、例えば、旧ソビエト映画の所謂文芸映画(「罪と罰」とか「カラマーゾフの兄弟」とか)は大嫌いだけど、文芸映画の香りを漂わせつつ、そこに娯楽的要素を加えている映画は大歓迎なのだ。
ウチがこの映画で思わず唸ったのは、遠景に遠ざかって行く人たちを捉える場面の素晴らしさ。母親が自転車を漕ぎながら駅に手紙を出しに行く長いロングショットとか、姉妹が、遠くにある一軒家を丘の上から俯瞰するロングショット。時間と空間が次第に奥まって行く感覚が非常に素晴らしいなと。
更に、このスペインの大地の地平線まで何もないという情景。その深い拡がりのある世界に、人物がゆっくりと時間をかけて遠ざかって行く。
こうした撮影技術だけでは到底描くことの出来ない技法は、この監督の持つ、持って生まれた映像と時間感覚の才だと思うなァ。
それと、映画全体が非常に森閑としている印象。映画全体の雰囲気が、映画の原型サイレント物を見たような印象があって、例えば、父親が警察から返された時計のオルゴールを食卓で鳴らすシーン。あの時の画面のショットの捉え方、全部カット割りで、オルゴールが鳴ったときに、子供がフッと見る顔のミディアムショット、その切り返しのショット、時計のオルゴールのアップ、実にオーソドックスなんだけど、余分がまったくなく、まるでサイレント映画を観ていて、まるで微かにリアルで近くで音がしたのかという錯覚すら感じる。全体にダイアローグが非常に少なく、足音とか物音が音響的な空間を作っていて、お見事というほかないですね。
とまあ、こんな話をしても観てない方には何のこっちゃって感じですが(='m') ププッ この映画は、同時にこの子役のアナ役を演じたアナ・トレントにも言及したいんですけど、如何せんこの子役の他の作品を観てないこともあって、よく知らない。だけど、役名と同じ名前であるが故か、演技とは思えないぐらい自然体です。この映画は、「アナ」の映画だと言ってもいいぐらい。
そして、その泉のような「アナ」の映画の中に、フランケンシュタインの怪物のストーリーで盛り上げつつ、母親が駅に赴き、走り始める列車に手紙を託したり、大人の部分でのストーリーには実は、射殺される兵士の事件も含ませてある。にも関わらず、この映画の印象は森の中の泉のひとつ。またひとつ、その輪を広げる波紋の静けさを思わせる。「アナ」ひとりの世界の、これこそは少女感覚溢れた詩情豊かな傑作だと思います。

「めぐりあう時間たち」


【ストーリー】

1923年英国リッチモンド。神経衰弱を患いながら新作の執筆活動中の女流作家ヴァージニア・ウルフ。姉とその子供たちを家に招くけれど、新作「ダロウェイ夫人」の事で頭はいっぱい。

1951年米国ロサンゼルス。夫の誕生日のために幼い息子と共にケーキを作る妊娠中のローラ。理想の妻、理想の母を表向きは演じているが、胸の内は絶望感に胸が張り裂けそうでいる。

2001年米国ニューヨーク。崇高な詩人リチャードの文学賞受賞パーティーを計画しているクラリッサ。リチャードはエイズに侵され、余命幾ばくもない。若い頃から愛していたクラリッサは、彼との思い出に浸る。

この三人の女性たちの一日の始まりから終わりまでを、同時進行で描きながら、異なる三つのストーリーが小説「ダロウェイ夫人」への伏線となり導かれ、そして、一日の終わりへと流れていく。



この映画は重いと聞いていたので、劇場鑑賞はパス(='m') ププッ で、レンタルになっても観る気力がなくてスルーしてたんだけど、ウチの母親の強い勧め?によって、最近ようやく観ることができました~

んで、「時間軸が複雑に絡み合っていて理解に苦しむ」というような噂もあったので、とにかく、思考力全開で鑑賞しますた(´ー‘*) フッ この映画の完成度の高さは素晴らしいけれど、誰にでも受けいけられるかと言うと、それはない。でも、理解できないからアタマ悪~なのではなく、単純に、この映画が合わないだけなのだと思う。ウチぐらいの歳の若い人だと、まず感情移入できないし、実際、ウチは理解し難い部分のテンコモリだったし。この映画の良悪を決めるのは、映画そのもののクオリティではなく、観る側の感性に託すという部分にある。これだけの質の高い作品だったにも関わらず、アカデミー賞は何も取れてないのは、それゆえなのでしょうか?

この映画に同性愛的シークエンスを垣間見るという人もいるみたいだけど、そういうありきたりの表層レベルを貼ってしまうことはウチとしては避けたい。その理由は、ただ単に女性同士の恋愛と言う単純な解りやすい悩みにしてしまっては薄すぎるから。あるいは、同性愛という強い感情ではなく、もっと淡い、漠然とした不安や不満が彼女たちに葛藤を与えていると思いたい。

この物語は違う時代の話がまさに絡み合って構成されている。そのために三人それぞれが同格的な主人公だと捉えることができるけれど、実際はクラリッサの「救済」が物語の軸で、ヴァージニアとローラは救済を導く役割だ。ヴァージニアが描いた(彼女自身では得られることがなかった)救済が、ローラの「生きるためには仕方がなかった」「後悔してどうなるというの」という最後の台詞を導き、さらに「君のために僕は生きていたんだ」というリチャードが、クラリッサの「過去の幸せ」という呪縛を解き放つ。こうしてクラリッサは<今>の自身の幸せと向き合うことができる。百年ちかく続いた不安や不満などの葛藤がようやくクラリッサが最後に手に入れた「答え」によって完結する。

羅列的に三人の葛藤を観ていたのではこの映画は「完結」しないと思う。観終わってそんなことを考えました。同性愛とか人生の意味だとか、ありきたりなわかりやすい感情ではない、もっとボヤっとしたことを描いている映画だと思う。それを言葉に表したいけれど、この映画の完成度の高さ故、それを困難なものにしています。


「ダロウェイ夫人」も映画化されていて、ビデオになってます。

併せて観るのも一興かと思います。


「アザース」

                                                                                                          


もうかなり前の映画なんだけど、お気に入りの一本なのでご紹介。

ホラー映画と言えど、更に分類すれば色々あって、スプラッタとかオカルト物とか、クリーチャー物とか・・・この「アザース」はゴシック・ホラーというジャンルのホラーです。ゴシックとは何か?ゴシックとはゲルマン系民族にゴート族というのがいて、彼ら民族の文化全般を指します。「古い」ということに用いられるけれど、厳密に言うならば、「ゴシック調」として、古代ローマに波及した建築様式にこの言葉が広く使われたそうな。

で、ストーリーはいたってシンプルで、


【ストーリー】

第二次世界大戦中のイギリス。チャネル諸島のジャージー島の広大な屋敷に、母親グレース、その娘アン、息子のニコラスの3人が暮らしていた。夫は軍人で、戦争へ行ったきり音信がない。使用人がいたのだけど、突然辞めてしまったため、グレースは困っていた。

そんな時、使用人募集に3人の人物が現れ、グレースは雇うことにする。子供の2人は、太陽光を浴びることのできないアレルギーであるため、日中でもカーテンを開けることができず、屋敷はいつも暗い。

グレースは神経質な性格のため、使用人にも細かく指示を与えるが、次第にグレースは使用人たちの妙な行動に気付き始め、彼らが何者なのか探ろうとするが・・・


限られた空間と限られた配役によって、ものの見事なゴシック調を生み出していると言えます。何より注目したいのは、音の使い方。日頃聞きなれたドアの開閉の音や、物を移動させたときの音、時計の振り子や秒針の音、人の囁きや風の音。こういった音を、暗く静寂の起ちこめた洋館の中で何気なく活用しているのが憎い演出ですね~

更には、前半の展開で、映画ファンなら予想できたであろう展開に、この監督の憎いぐらいの伏線を張り巡らしておいて、実はこうではなく、こうなんだよと一気に落とすあたり・・・スクリプトの妙とはこれ然り。

だけど、作中のこういった仕掛け?があまりにしつこくなると、逆に観る側を飽きさせ、また、作品自体を難解にしてしまう。

よく、この「アザース」はシャマランの「シックス・センス」のパクリと言われるけど、実際は「アザース」のほうが先に製作されていて、公開が遅れただけらしいですねぇ。

ニコール・キッドマンの透き通るような美しさと、すべての美術の美しさ、正にゴシック美に彩られた映画だと思います。

「炎のメモリアル」


記憶に今だ新しい9.11同時多発テロ。そこで勇敢にも消火レスキューに当った消防士と、殉職していった消防士たちに捧げられた映画らしいです。アメリカってこういうヒロイズム好きなんですよね。

いかにもアメリカらしいテーマだなと思いながら観たけれど、危険な任務に敢えて立ち向かう、そういう姿勢が、見るからに男のヒロイズムをくすぐってるというか・・・

ストーリーをちょっとオサライ。


【ストーリー】

とある倉庫で大規模な火災が発生。そこへ主人公ジャックは仲間たちと消火へ当る。

ジャックは「はしご車隊」と呼ばれる隊に所属。この「はしご車隊」とは、消火班とは違い、建物の内奥へと侵入し、取り残された人を救出するのが任務だ。「はしご車隊」は倉庫内部に侵入し、生存者を数名発見し救出に成功するが、最後のひとりをジャックがはしご車に乗せようとした瞬間に、爆風に飛ばされ、運悪く床が崩れた。数階下へ落下したジャックだったが、かなりの痛手を負ってしまう。下では署長のマイクが、ジャック救出に仲間の隊を建物内に向かわせるが・・・

このあたりから物語りは過去へとフィールドバックして、ジャックがこの消防署に新人として配属されてからの活躍などが描かれる。結婚や、子供の誕生。そして妻との確執や、仲間の死。そして、最後は再び倉庫火災の現在へと戻り・・・。


いいですよ・・・どうぞヒーローにでも何にでもなってください。正直言うと、こういう映画で私が納得いかないのは、自らの命を犠牲にしてまでも勇敢に死んでいって賞される男の家族の気持ち。「お父さんは勇敢だったねぇ」と励まされても、残された家族の哀しみは言葉には言い尽くせないものがあるはず。

この映画のジャックも、当初はポンプ隊で、前線ではなかったのに、はしご車隊の仲間が殉死したのをきっかけに、はしご車隊へ志願する。

その時に、ジャックの奥さんとひと悶着あるんだけど、結局ジャックははしご車隊へと付き、そして倉庫火災に遭遇してしまうわけ。なんというか、家族を省みないこのジャックの姿勢、これに納得いかない。

安全な道を行く、これも恥ずかしい生き方ではないはず。家族を大事にしてくれよっと言いたいんだけどな・・・(´;ω;`)

消防士や警察官、医者とかをヒーローに祭り上げるのはいいけれど、警察官が痴漢してたとか、放火魔は実は消防士でしたとか、医者が未成年の女の子を買春してたとか、そういうニュースを見たり聞いたりするとホント虚しくなる。最近は、アンチヒーローの方が面白いと思うのはウチだけだろうか・・・(=´ー`)ノ

「キングダム・オブ・ヘブン」


この映画が公開当時、前後してやたらと歴史絵巻物の映画が盛んに創られてた。「トロイ」「キングアーサー」「アレクサンダー」。まあ一種のブームだったんだろうけど、仕舞いにはタイトルと内容が一致しなくなって困ったものです(='m') ププッ

で、そんな中、オーランド・ブルームが俄かに日本で人気になってきて、そこへもってきて、オーリーが主役の作品ってことで結構話題性はあったわけで、さて、その出来やいかに・・・。

ウチは、この映画公開当時は、もう歴史物に飽き飽きしてたから、劇場鑑賞パスしてました(´ー`*) フッ

で、DVDレンタルキタコレってんで早速鑑賞。簡単にストーリーを。


【ストーリー】

鍛冶屋を営むバリアン(オーリー君)は、愛する妻と子を失い、仕事にせいを出す毎日でした。

そこへ、東方へ戦線遠征していた十字軍部隊が休憩のために立ち寄った。実はこの総隊長のゴッドフリーこそが、バリアンの父親だったのでした。

ゴッドフリーは自らが父親であることを明かし、共に聖地エルサレムへ行こうと誘う。一旦はバリアンは断るが、この地で生きることは、家族を失った悲しみを一生背負いながら生きることになると思い、ゴッドフリーの跡を追うことになる。

しかし、港に向かう途中でバリアンを追ってきた憲兵隊?と乱戦になり、ゴッドフリーは痛手を負ってしまう。そして、港に着いたが、ゴッドフリーは死に、息子バリアンに騎士道精神と、エルサレムの未来を託すのだった。

エルサレムへ向かった船は難破し、そんな中で助かったバリアンは聖地エルサレムへと向かう。


当時のエルサレムは混沌の中にあった。十字軍はひっきりなしに戦地へと遠征。そんな中でも、つかの間の平和が保たれていたのは、当時を統括していた王ボードワン4世と、敵対するサラセンの指導者サラディンの力に拠るところが大きかった。

しかし、十字軍の大将ゴッドフリーを失った今、軍隊の志気が乱れ、それにつけ込んだテンプル騎士団の大将ギー・ド・リュジニャンが我が物顔にのさばり始める。リュジニャンは王の妹シビラの亭主であることをいいことに、軍事力によってより多くの領土を欲する男だった。

その反面では、シビラはバリアンと恋に落ち、王ボードワンは、ゴッドフリーの息子ならばエルサレムを平和へと導く筈だと、バリアンに全権を託そうとする。

王ボードワンが死去。リュジニャンはバリアンに暗殺者を差し向けるが・・・


かなり無理のある人物設定。バリアンが一介の鍛冶屋のはずが、剣の達人に変身です・・・(´ー`*) フッ

そのあたりにもバッググランドあってもよかったかと思う。オーリーはああいう映画の主役にしては弱々しく見えるし、指導力のあるカリスマ性にも欠けている気がするなぁ。

王の妹シビラとの恋のエピソードも影が薄く、焦点がどこに置かれているのかハッキリしない。個人的には、王の指南役みたいな存在のティベリウスを演じたジェレミー・アイアンズが素晴らしい・・・というか好き。。(*ノωノ)おじさんが好きなんですハイ!

んで、無謀にも敵陣へと突っ込んで行って自業自得のリュジニャンが去り、ティベリウスも去ってしまって、ひとりエルサレムを守ろうとするバリアンだけど、何故にそんなに指導力があったのか不明。

ただ、何でも力押しのリュジニャンに比べたら、知恵はあったと思いますよ。しかし、多勢に無勢で結局はってことだけど、この映画の最大の見所は、やっぱパノラマチックに展開する戦闘シーン。

これは圧巻としか言い様がありません。よくもまあこれだけのエキストラを・・・って感じです。

CGとかも多用してるんでしょうけど、圧倒的スケールの城獲り合戦です。

リドリー・スコット、音楽でヴァンゲリスを使って欲しかったなァ・・・。

しっかし、戦の陰に女あり・・・ですねぇ((((*´Д`)))プルプル



「マシニスト」

最近観たキモーイ映画といえばコレコレ!!!

主演のクリスチャン・ベイルの超激痩せぶりが話題でしたね~

君に『努力の人』オブ・ザ・イヤーを進呈しよう(='m') ププッ

ところで、この映画ってアメリカ映画かと思いきや、スペインも製作に関わっているんですねぇ。どうりでヨーロッパの香りが漂ってますわぁ~と思ったら、撮影はスペインではありませんか~(`・ω・´)ノ

ということで、ストーリーを掻い摘んでご紹介♪


【ストーリー】

工場でマシニスト(機械工)として勤務しているトレバーは、一年もの間、不眠症に悩まされていた・・・(たまーにコックリコックリ居眠りしてるけど(='m') ププッ)栄養失調と不眠症とで身体は激痩せ。そんな時、工場でアイバンと名乗る男と出会う。ことあるごとに見かけ、目が合う二人・・・キモッ!そのせいで気が散ったトレバーはミスを犯し同僚を機械によって大怪我をさせてしまった。「あいつが見つめるから」・・・(そうは言ってないw)アイバンの事を皆に話すトレバーだが、上司も同僚もアイバンなど知らないと言う。

逆にトレバーは頭がイカレタとか、ヤクでもやっているのかと疑われ始めた・・・。しかし、自分でも事故に遭いそうになり、トレバーは謎の男アイバンを追求しようとする。

捕まりそうで捕まらないアイバン。これは何かの陰謀なのか・・・。

そして遂に、アイバンの正体が明かされる時がきたが・・・。


なんというか、この激痩せのトレバーが、ちゃんと仕事してたり、普通に会話してたり、しかも、お抱えの娼婦までいたりと、以外にも元気なのが笑える゚(゚ノ∀`゚)゚。アヒャヒャ

更に女好きなのか、職場から遠く離れた空港のラウンジのウエイトレスにもご執心で・・・^^;

しかし、こんな平和な日々が、アイバン登場から次第に暗雲立ち込めて~狂気の世界がアイバンを支配していくのね。トレバーのメモ魔ぶりも異常だし、冷蔵庫に貼ったメモが、いつの間にかハングマンゲームになってたり、謎を解く鍵はあるんだけど、考える思考すら忘れるぐらい淡々とストーリーは進み・・・。

ラストはちょっと哀しかったなァ・・・でも、なんか心が救われる結末だったかな。

途中で、なんとなく展開は読めてくるけど、しかも、その通りのエンディングでもあったけど、全体的には面白い映画だった。


恐ろしいのは、このトレバー役のクリスチャン・ベイルで、30㌔も減量して撮影に挑んだってこと。更には、その後30㌔を戻し、痩せていなかった頃のトレバーを演じているってこと。

役者魂とはこういうことを言うんだろうけれど、正直、身体壊すよ・・・・こんなことしてたら死にます((((*´Д`)))プルプル

「下妻物語」

もう去年の映画ではあるけれど、ウチ的には最近観た邦画の中でのベストワンなのが、この「下妻物語」。

未だに時々観ては感動してるんだけど、いつ観ても面白い映画だなぁ~(*・ω・)(*-ω-)ウンウン

ウチが高校生の頃は、いたって普通の女子高生だったから、こういう何かひとつの事にコダワリを持った子は微妙に尊敬してたりもしてた。マジで。でも、ロココロリータってのはサスガにいなかったな~∴>(▽≦*)ブッ!!

ちょっとツッパリ入った子はいたけど、族はいなかったし。田舎の高校とかには、まだヤンキーな子っておるんかなぁ?バイクの後ろに乗ってみたい気もするけど(='m') ププッ

で、映画なんだけど、最初のほうは何かおバカ映画っぽくて、正直最後まで観れるかなって思ってた。深田恭子とか別に好きでもなかったし。でも、このノリっていうか、テンポの良さっていうか、グングン惹き込まれていく展開が(・∀・)イイ!!

桃子の性格も、最初は「こいつアホやん」思ってたけど、だんだん好きになっていく。何よりも、イチゴのヤンキーっ娘がカワイイ!!! ってヵ、ヤンキーって可愛いイメージないんだけど、イチゴは憎めない可愛さあって好きさ~(='m') ププッ

んで、おもしろオカシイ事ばかりじゃなくて、族のリーダーの亜樹美さんに好きだった男を取られちゃったイチゴが泣き崩れるシーンはマジで哀しくて・・・・(┯_┯)

こういうヤンキーの女の子って、男の子もだけど、友情に熱い子が多いねんね。自分の寂しい心の拠り所が見つからないから、つるむねん。

桃子とイチゴは、最初は性格が違うからうまくいくのかなって思ったけど、そうじゃなくて、2人とも寂しい部分を抱えた、似たような性格の女の子だったんやね。

この監督サンのことをネットで調べたら、昔ビールのCMで豊田悦司とオッサン俳優(名前ワカラン)がスローモーションで卓球やってるやつ撮った人なんですねぇ。

どおりで、桃子がトラックに撥ねられるシーンはオモロイなぁと思った。

んで、この映画、タランティーノの映画の影響もあるって評論家サンが語ってるけど、そんなんわからんわ∴>(▽≦*)ブッ!!

<< 前のページへ最新 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9