知能は学力の偏差値のような数値のグラフで考えます。特性を知る目的の知能検査では、自分の中である能力が別の能力よりも相対的に低いか高いか、その開きはどのくらいか、それらのバランスは取れているかなどに注目します。
ASDはスペクトラムと言って山の頂点から裾野までの広がりがありそこにそれぞれの特性の強さを持った人々が点在しているイメージです。頂点に特性が割と強く出る人がいるということは広い範囲で無数の特性が少しだけ出る人がいる、ということになります。
誰かがある「変わった」性質を持つということは、その「変わった」性質を少しだけ持つ人が無数にいる可能性があるという感じだと思います。
私たちはお互いに似てると安心するけど、案外、自分だけ奇天烈な考えを持ってるかもしれないし。
自分だけ特別な性質を持ってると思うけど、それは誰もがその性質を少しずつ持っていて何ら特別ではないかもしれないのです。
- 人は唯一無二の存在。
- 人は人との比較でしか自分の存在を認識できない。(最初の他者は母かな?)
- 世の中は不公平だ。
どれも正しそうです。
幸せはどうでしょうか?
幸せが偏差値のような概念で表せるとしたら。
みんなの平均の範囲にいる人はいいけれど、あの左端の方の一握りの低い点数の人たちが消滅するということはあり得なくなります。また、右端のほんの一握りの高い点数の人も存在し続けます。
話は変わりますがうすうす気づいてたのに、見たくないから放置しておくことってありますよね。わたしの場合、それが「わたしって不幸じゃね?」というのと「わたしもしかして発達障害なのかも?」でした。いわゆる臭いものに蓋をする状態で生きていました。
臭いものを見てどう対処するか?は大事ですが、まず見るのが大事ですよね。
そうすると単に知らないから気づいてない事柄もあるわけで。
世の中にわたしの無知が原因で気づけない不都合なことは無数にあるんだろうなという想像ができます。
そう思えば幾分か知ったときのショックは和らぐかもしれませんね。
アメブロでたまたま見つけた記事が少し怖かったので、メモ用にこちらに貼っておきます。
こちらはまた一味違う解釈
わたしはグロいのとかが苦手なので、たぶん観れないのですが💦、気持ち的には観に行きたい映画です。
この映画関連で記事を読み漁ってたら何かの記事で「ホラー映画に登場するのは何らかの社会問題のメタファー」みたいな記載を見ました。皆さんも映画の裏メッセージに興味があればぜひ映画観てみてください。