隼人フリーク 女海賊エメラルダスのブログ -4ページ目

笑う気になれない

1か月前は、こんなことが起こるなんて知るよしもなく、
私たちは暮らしていました。
夢だったらいいのに、・・・
3/11の震災以降、笑ったり、にぎやかにはしゃぐ気になれず、
ニュースや新聞を見ては、
涙が止まらず(仕事中だけは封印していますが)、
時々は、声を上げて泣きたくなります。
家は、埼玉。仕事は東京。
あの日、大きく揺れましたが、
地震による直接の被害は、それほどでもなかったのです。
その後、交通が混乱し、
店から、食料品や日常品やガソリン灯油がなくなり、
計画停電が行われました。
4月に入り、気温が少し上がってきたおかげで、
停電は今は行われていません。
(夏の猛暑が怖いですが、今はそこまで考えないようにしています。
なるようにしかならないですから。)
ただ、節電のため、花冷えの寒い日も、
電車や職場の空調が入らず、
街中のショーウィンドウや看板のライトも、
店内の電気も消せるだけ消されているので、
寒々しい感じがします。
(今までが不必要に明るすぎたともいえます。)
店の閉店時間が早まったり、多少の不便はあるものの、
私の生活している地域では、以前の暮らしが戻りつつあります。
でも、原発の福島、何万人も亡くなった東北地方沿岸部の悲しみと苦しみが、
声なき声として聞こえるようで、涙が止まりません。
私が、泣いたところで、何の意味もないとわかっていても、
止まりません。
義援金を、継続的に送れば、自分を納得させられるだろうか、
とこれを書いていても、泣けてきます。
「震災うつ」というのですかね、こういうのは。

リアルな悲しみ

東北関東大震災から3週間目。

ニュースを見ていると、
被災者の方に食事や水や毛布は届いたろうか、
そんな内容から、
被災者の方々の今後の生活生計をどう復旧するのか、に移りつつあります。
前に進もうとする力強さにこちらが励まされつつ、
昨日、私は、もっとリアルで根元的な悲しみを初めて感じ、泣きました。

経験しないことに、人は鈍感ですが、私もやはりそうなんだなと思います。
亡くなった方、失った方の思いです。
死者行方不明者、何万何千人、そんなグロスの数字でしか感じていませんでした。

実は、3月末、娘のやっている部活(箏曲)を、
福島の三つの高校の生徒さんが見学にきて、
交流会が行われることになっていました。

今年の夏の全国大会が、福島で行われることになっていたので、
箏曲部の歴史が長い、娘の高校を見学してもらうという初の交流になる予定でした。
娘らも、練習室の畳を全部入れ換えて、
お招きする準備をしていましたが、地震による諸事情で、
「会は中止」と先日、顧問から話があったそうです。
それは仕方ないとして、福島の生徒さんらが無事だったのかということが気になりました。
「海の近くの子の安否がまだ確認できないんだって。」
・・・
あちらの御家庭にも、「埼玉の高校へ、部活見に行くんだ」と話していたであろう、
娘と同じように、琴に夢中のお嬢さんがいたでしょう。
地震がなければ、お友だちになっていたでしょう。
地震津波によって、何万何千人の生きてきた歴史や、
これからの夢が絶たれたのだと初めてリアルな悲しみがわいてきました。

こちらは、節電や計画停電のため、交通機関の運行が減らされ、
いつもより激しい通勤ラッシュ中、いつもの1.5倍くらいの時間をかけて通勤しています。
不便を感じながら、これまでどれだけ恵まれていたか感じ、
また被災者の人たちを思えば不平を言う人はおらず、

黙々といつも通り仕事をしようとしています。

でも、
早く復興して、元の平和な暮らしを!!と考える前に、
多くの人が亡くなった、失ったという、深い悲しみを理解しようとしていなかったことを、
情けなく思っています。

「楽しい」の大前提

女性社員同士、たいていお昼を一緒に食べていますが、
このところ、話がはずみません。


会社は、都内ですが、それぞれ住んでいるところは、埼玉であったり千葉であったり・・
「余震や放射能漏れで、身の安全が保証されない状態が続くと、
人って、何も楽しくないんだね。」


いつもなら、他愛無い、流行りものや、テレビの話で笑えるのに。


やかましいお笑い芸人が、被災地から遠く離れた沖縄にいって、
「募金よろしくー、がんばれ、ニッポン」なんて、パフォーマンスをしていると、
他人事みたいで、みょーにむかつくと同僚どうし話しています。
ま、誰でも、自分の経験していないことについては、イマジネーションが及ばず、
知らずのうちに、無神経な言動をしてしまいがちですけどね。汗


被災者の方々のことを思うと、胸が痛み、辛抱しなきゃと、みんなわかっているので、
不安があっても、不平を言う人はいませんが、

今日明日の停電予定と、電車の運行状況を常に気にし、
主食類や灯油やトイレットペーパーなど最低限必要なものを手に入れる手段を考え、
日々刻々変わる情報に、神経をすりへらしています。


私達、働く主婦は、今、週末、1週間分買っておかないと、
平日、家に帰ったころには、スーパーは、節電or停電閉店しており、
開いていても、モノがないのです。同僚と、米やラーメンを交換したりしています。

電力不足に陥らないよう、会社でも、エレベーターを使わない、空調や電気も切っています。


夜6:20~10:00の停電グループに、自宅が入ると、色々大変です。
駅を降りると、辺りは真っ暗。街じゅうが停電すると、こんなに暗くなるのか!と驚きです。
駐輪場で自分の自転車を見つけてライトを点けると、そこだけ明るくなりますが、
数メートル先の歩行者が、見えません。
真っ暗な街で、交差点の信号が消えているというのは、想像以上に危険です。

これまでがどんなに恵まれていたかよくわかります。


心からの笑いが戻ってくるまで、一歩一歩、被災者の方共々、

皆で助け合って歩いていけたらと思っています。
生まれ育った土地を離れて移住してこられる被災者の方を、
温かく迎え、新しい文化を作っていけるような社会でありますように。