悲しみと苦しみのどん底にある人にとって、
悲しみと苦しみのどん底にある人にとって、
どんな励ましの言葉も、意味がなく、
それどころか、
渦中にない人間から言われると、
腹が立つことさえあると思うんです。
あんたに何がわかる?と。
例えば、
’明けない夜はない’、
’神様は、乗り越えられない試練を与えたりしない’、
年月が過ぎて、振り返れば、
そう思えるようになるかも知れない。
でも、今、他人が言うべきことじゃない。
乗り越えられない試練は与えられない?だとしたら、
なぜ、年間3万人以上自殺するの?と、
「気休めなんか言うな」と、言いたくなるのと思うのです。
悲しみと苦しみのどん底にある人に対して、
できることがあるとすれば、
その人が、力を取り戻すまで、
黙って寄り添い続けること、
自分にできることを見つけては、
黙ってやり続けること位でしょうか。
励ましの言葉よりも、たわいないメールのやり取りを「続ける」ことなら、
少しは役に立つかも知れません。ね。
福島の人には大変申し訳ない
原発がなかなか落ち着かないことが、
福島の人の生活を苦しめ、
今後は、産業へのダメージが拡大してくるでしょう。
福島の原発は、東京電力の施設であり、
首都圏へ電力を供給するためのもの。
福島の人は、東北電力から供給を受けていますから、
あの原発は、福島の人にとっては、害悪ばかり撒き散らしているのです。
供給能力の落ちた東京電力は、
東京都心部を除く、周辺県をグループごとに停電させて急場をしのいでいますが、
(我が家も毎日停電が来ますが、被災地の方を思うと、文句などいう気になりません。)
田園調布など東京都心部の住宅地も協力すべきです。
電気が来ないということを、今、皆が共有経験すべきで、
危機管理に生かせばよいのでは。
原発の近くで屋内待機させられている方々に、
食糧が届かず、餓死するのではと、福島市内の友人が心配していました。
そんな時に、東京が’のうのうと’暮らしていては、
大変失礼で申し訳なく思います。
放射能防護服を着てでも、東京から食料を届けるのが筋のような気がします。
大地震から1週間
被災地の惨状をニュースで見て、涙が出るくらいに、
やっと気持ちは、状況を受け入れ始めました。
ここ埼玉や東京でも、余震が続いたこと、交通網の混乱や、
米やパンなどの食料、トイレットペーパーや生理用品などの日常品、ガソリンが店頭からなくなったこと、
いつくるかわからない停電のため、最新の情報収集にあけくれ、右往左往の張り詰めた1週間でした。
買占めはしませんが、ある程度備えておかないと、二次的に迷惑をかけるので、
バランス感覚が必要です。
今日は、地元市役所で支援物資や義援金を集める活動があったので、
紙皿や割り箸、せっけんと少しばかりのお金を寄付してきました。
高校生のボランティアや、商工会議所の人たちが出て、
頭をさげてお礼を言っていました。頭の下がる思いです。
皆、余裕がない中、各家から、ティッシュや粉ミルクや飲料や毛布や・・・
自転車で持ち寄ってきていました。
国民一人が、1食節約すれば、東北の人の飢えをだいぶ救えるのではと、
頑張る気がわいてきました。