仕事で10年間大阪に住んでいました
阪急宝塚線
約7年間は豊中駅近くの社宅に
残りの3年間は社宅廃止に基づき大曽根駅近くのUR賃貸に
この時代は九州・山口県を除く西日本を担当していたので
各地の美味しいお店に行くこともできて
会社人生の中では今のところ1番楽しく充実していた時代です
大阪を転勤して以来
大阪の地に足を踏み入れたのは
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あっよく考えてみたら
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京都は「丸の内朝大学 歌舞伎クラス」の
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3年8ヶ月ぶりのこと
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した翌朝は懐かしの阪急電鉄で京都に向かうことにしました
目的はお昼ご飯ですが
明日のBlog記事になるのでお楽しみにしてください
通勤電車だった懐かしの宝塚線を横目にして
京都線で嵐山に向かいました
まだ紅葉が
始まったばかりの頃
もちろん嵐山にくるのは
初めてではありません
大阪在住時代に
何度も足を運んでいます
でも何度来ても
良いところですよね
京都って
やっぱり日本の都市の原点だと思います
良い意味でも悪い意味でも。。。
そこに日本の歴史の縮図があるように思います
一見さんお断り
お茶屋さんの請求書は紹介者へ
ほうきを逆さに立てかける
ブブ漬け
京都人を悪く言う形用に使われることも多いが
これらは僕は京都人の生きる知恵だと思う
僕の中では「応仁の乱」がキーワード
当時は権力がコロコロ変わる時代
決まった強い主従関係を作ると
その主が滅びると従もお家が滅びる
八方美人に生きることが家を守ること
一見さんはお客様をもてなす上で
お客様のことをよく知ってもてなすという意味合いもあれば
代金の取りっぱぐれを防止することにもなる
すべてのことに生き抜く上での知恵がそうさせているのだ
京都で商売をする上で僕が学んだことです
これが当時自分が開拓したと自負する
仕事の中で最大のビッグユーザーを
当時得られた理由だと思っています
桂川を詠んだ和歌は
調べてみると意外とないことにビックリ
「菜の花や行き当りたる桂川」(蝶夢)
嵐山を詠んだ和歌も少なくて
「冬晴や さびしくなりし 嵐山」(日野草城)
トロッコ嵯峨駅
へ~
SL機関車が並んで
展示されているよ
<人車>
凄いね
こんなものがあったんだね
時代といえばそれだけかもしれないけど
技術の進化といえばそれだけかもしれないけど
労働者のこととか考えると
妙に感慨深い思いとなりました
さあ本日最大の目的のお店に
お昼ご飯に向かいます