“下北沢屋根裏3月末にて閉店。”
少しイラっともした。
それは、例えるなら
修学前に学校を追い出される感じに
似ているのかもしれない。
もうお前たちに教えてやれることは全て
教えた。
後はお前たちが自分で考えて、
自分なりに自分の道を歩み出せと。
なんだよ、それ。
ふざけんなよ、
俺たちインディーズミュージシャンたちに
とって、どれだけあんたがあこがれの場所だったか、、。
どれだけの想いでみんな、
あの狭くて汚なくて
空気の薄い暗闇の中必死こいて
歌ってきたと思ってんだよ!
これから先俺らはどう進んでけば良いんだよ!!
思わず、そう心が叫んだ。
そのくらい
一方的すぎる卒業であった。
僕が18歳の時
See Jet Mandyというバンドを組んでおり
初めてライブをした場所が
下北沢屋根裏だった。
ここにその当時の
初ライブの模様が映されている。
See Jet Mandy
当時大学が下高井戸にあったせいか、
初ライブは近場でという話になった。
京王線明大前乗り換え、急行で一駅の
下北沢に白羽の矢が立ったのだ。
屋根裏という名前は音楽を志す者なら
きっと誰もが聞いた事があるだろう。
かの有名かつ伝説のバンド、
THEE MICHELLE GUN ELEPHANTや、
ゆらゆら帝国、Superfly、
神聖かまってちゃん、Syrup 16g
などなど名のあるアーティスト達が
舞台に立ったことからも窺い知れるように、日本の音楽の歴史を語る上で、
非常に重要な立ち位置にある
老舗ライブハウスなのである。
1986年、渋谷屋根裏から下北沢の
ルイビル3Fに移転して以来、
29年間にわたって無数のインディーズミュージシャン達も巣立たせてきた。
ことに下北沢屋根裏の特徴として、
オーディションに受かった者だけがライブにブッキングしてもらえるといった
完全オーディション制を採っていることも
皆のあこがれを助長させる要因であったのかもしれない。
僕もSee Jet Mandyで初めてオーディションを受けた時は、本当に緊張しました。
バリバリのUK Garageバンドを目指していた僕は、がんがん張り裂けるように叫び、壊れるほど乱暴にギターを掻き鳴らし精一杯自分たちを表現しようと奔走しました。
オーディションライブが終わって、
結果発表の間、しばらく5Fの待合室で
ぼーっと座っておりました。
いざ、マネージャー室に呼ばれ、
当時ブッキング担当であった
味間正樹さんにまず言い渡されたのが、
“おんまえら、ほんまへったクソやな、
どうしょうもないなぁ~、まあ、
でも、そんなことより
なんかキラキラした才能の輝きみたいなもん感じたんよ。こう可能性あるなってな。
だから今回は、負けに負けて
しゃあない、、、
合格や❗️”
涙が出そうになった。
天にも昇る心地っていうのは
このことを言うんだと初めて思った。
それから、
今は無き、ぶーふーうーという
喫茶店でバンドメンバー四人で大いに盛り上がった。あの時のことは今でも昨日のように覚えている。
残念ながらSee Jet Mandyは解散しました。
バンドが解散して途方にくれている時に
アコースティックイベント出てみぃへんか?と、誘ってくれた屋根裏。
シンガーソングライター
おおともゆうとして
初ライブをしたのもやはり、
下北沢屋根裏でした。泣
数え切れない多くの思い出。
一つの物語の終焉。
新たに迎える次章へのエピローグ。
世紀の音楽的変革期。
今まで抱えてきたたくさんの
思い出と笑顔、涙と楽しかった時間。
今。
僕に出来るささやかな恩返し。
全ての想いと熱意と情熱を込めて
精一杯力の限り歌わせて頂きます。
シンガーソングライター
おおともゆう
下北沢屋根裏閉店前最後のライブをします。
日時 2/23(月)
チケット代¥1,500
演奏時間25分 ギター一本弾き語り
最終公演
ぜひ皆様この歴史的瞬間をご覧下さい。
お問い合わせはこちらまで。
☆おおともゆう公式ホームページ☆
よろしくお願い申し上げます。
そして最後に、
今までお世話になりました。m(__)m
そして
下北沢屋根裏まで足を運んで観に来て下さった多くの方々。
改めて感謝致します。
本当に今までありがとうございました❗️❗️❗️泣
このご恩は一生忘れません!!
この寂しさを力に変えてこれから
ちゃんと独り立ちして、やっていきます。
これからのおおともゆうを、
どうぞ、よろしくお願い申し上げます。