実家の現状 | yunnkji1789のブログ

yunnkji1789のブログ

ブログの説明を入力します。

ウクライナの記事と源氏物語の記事は実は繋がっていて、まだ完結していない。で、続編を書くつもりだったが、今月に入ってからそれどころではなくなった。詳しいことは書けないが、両親に介護が必要な状態が来てしまった。介護自体は問題ないのだが、両親ともに精神的に参ってしまっている。毎晩母から泣き言の電話がかかってくるものだからようすを見に実家に帰ってみたら、父も父で精神的に追い詰められているようだった。

それ以来週末は毎週片道3時間かけて実家に帰って家事と介護をしている。

甲斐あってかわからないが、今週はだいぶ落ち着いて安心した。

近所に兄夫婦が住んでいるのだが、両親はあまり頼りたがらない。兄は兄弟ながら、私と正反対の性格で、神経質で怒りっぽいところがある。兄嫁はそんなに怒ることはないが何かあると、口では労りながらも、顔がひきつっている事が多く、内心怒っているのがよく分かる。兄が両親の失敗に怒り出し、それに対して私が両親を庇う構図が、アルアルになってしまっている。

だから近くに住む兄ではなく、私に頼ってくるのだ。私も私で、父母が兄に怒鳴られている姿を想像するとかわいそうになってしまうから、私がやったほうが気が楽だ。

私はよく、福祉人気質だと言われる。弱い立場の人を見ると放っておけなくなる。

何も皆が私と同じメンタルを持てとは言わない。

厳しいタイプの人も、優しいタイプの人もいるから社会は回っていると思う。

しかし、老害という言葉を平気で吐くのも好きではない。

運転ミスで酷い事故が起こったりすると「また老害が」と言った非難が目立つ。高齢者の運転が危険なのは事実だが、それにしても、もう少し年寄りの失敗に労りの気持ちもないのか?と思う気持ちもある。

60年以上安全運転を続けてきた人を、まだ二十年程度しか運転していないひよっこの私達が偉そうに批難することに、私は傲慢さを感じる。それよりは、高齢者が運転をしなくても自由に移動できる社会にできないことを恥じるべきだと私は思う。

高齢者に投資しても社会の発展には繋がりにくい、だから高齢者よりも子供が重視されがちになるのは仕方ないかもしれない。しかし、高齢者も子どもも、障害者も性的弱者も、同様に人格が尊重される世の中であってほしい。

父に肢体の障害があることは以前書いたし、母は若い頃馬車馬のように働いて働いて、身体を酷使していたらしい。二人とも長い間の無理がたたって、今身体がガタついて苦労しているのだ。世の中の高齢者は皆そうなのだ。そんな人が大事にされる世の中であればこそ、障害者や子どもも大事にされるはずだと思う。