鰯の頭も信心から | yunnkji1789のブログ

yunnkji1789のブログ

ブログの説明を入力します。

以前も少し書いたが、神社の二礼二拍手一礼は、年輩の方ほど知らない人が多い。

実は歴史が浅く、明治維新後に定められた習慣で、広く広まったのは戦後になってからだ。

明治より前は神社によって礼や柏手の回数はまちまちで、そんな細かい作法は知らない庶民は、手を合わせて拝むだけだった。そもそも自分が拝んでいるのが、寺か神社かもわかっていないのだから仕方ない。明治になって神仏分離に伴って無理に定めたのが二礼二拍手一礼だが、実際にはあまり広まらず、戦後になって全国的なメディアか発達してからようやく広まる。そもそもなぜ明治に決めて、それをさも伝統であるかのように吹聴したかと言うと、国教にするにも、しきたりがマチマチでは欧米にバカにされると考えたからだ。

日本は八百万の神々なんだから、何も一神教のキリスト教に合わせる必要はないはずなんだが、当時の日本人は、欧米にバカにされないためなら、神々のシステムの変更も厭わなかった。今の天照大神を頂点にしたピラミッド型の神道思想も、まさにこれである。

しかし、多くの人が古来からの伝統だと思い込んでいる。


夫婦同姓は、明治になって、欧米に合わせて作られた習慣である。当時の為政者は、「日本はだめだ、欧米に合わせた方がいい」と考えたのだ。ところが今の人は、日本の伝統的な家族制度だと思い込んでいるしまっている。

これはまさに明治政府の宣伝工作の結晶で、何も知らない庶民に、家父長制度と結びつけて、いかにも日本的、伝統的なシステムであると吹き込んでしまったのだ。

もし明治政府がもっと踏み込んで、欧米に合わせてファミリーネームを後ろにしてしまっていたら、今どき「ヒロシ. タナカ」が普通で、「タナカ.ヒロシ」なんて名乗ったら「伝統を破壊するな!お前は外人か!」と罵られていたかもしれない。

夫婦別姓という大変革が可能だったのは、そもそも庶民には氏姓の習慣がなかったからで、その理屈なら十分有り得る。


まさに「鰯の頭も信心から」である。



しかし、それを思うと、明治政府の宣伝工作は本当に上手かった。百年後には、もうそれが千年の伝統だと思いこんでしまっているのだから。

私はたんに明治政府が悪どかったとは思わない。洗脳が上手く言ったのは、それまでの日本人が「白紙」だったからだ。

東アジア式の封建社会から、欧米式の国民国家に変革するのは前代未聞だったのだから。色々手探りだったのだ。