ウクライナはナチスか | yunnkji1789のブログ

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開戦当初特に顕著だったが、プーチンはゼレンスキーらウクライナの首脳部を、しばしばナチスに例えていた。

また、ゼレンスキーは、各国に援助を求める時、ロシアの攻撃をアメリカではパールハーバーに例えるなど、ロシアこそがファシストであることを必死に訴えていた。

実はこれは両国のイメージ戦略である。


私達日本人はプーチンの主張は的外れな完全な言いがかりだとしか思わない。

たしかに言いがかりである。

しかし、私達日本人にはピンときにくいのだが、ヨーロッパ人がこれを聞くと、少し印象が違って聞こえてくる。


黒人は乱暴、アジア人は狡い、などのように、差別はダメだ、そんな物は何の根拠もない、と頭ではわかっていても、なかなか消しされないイメージというのがある。それと同じで、ウクライナの反ロシアの人は、ナチスに親和的な人が多い、という印象を持たれやすい。


プーチンはそのことがわかっていたから敢えてウクライナをナチス呼ばわりして、ウクライナは必死にその火消しをしていたのだ。

ヨーロッパの多くの人が、アンボジア、ベトナム、タイ、ラオスの違いがわかってないように、私達は東ヨーロッパなんて殆ど区別がつかない。そうなると、歴史的な背景などもなかなかピンとこない。

ウクライナに関しても関係の戦争で初めて知った人も多いと思う。


今回の戦争で初めて、ウクライナが世界有数の大穀倉地帯であることを知った人が多いと思うが、それ故、嘗て前代未聞の悲劇に見舞われたことがあった。

ソ連成立当初、ウクライナはソビエト連邦に参加していた。第一次大戦で疲弊したヨーロッパを尻目に、ソ連は社会主義理論の実践で経済発展をすすめる。所謂五カ年計画である。

それぞれが欲求に任せて生産するのではなく、連邦が各国や各地域に生産ノルマを割り振るのだ。そしてウクライナには連邦に行き渡らす穀物の大量生産を課される。

所が、そういう時に限って、旱魃が起こり、増産どころではなくなる。

地元の指導者は事態をモスクワに報告してノルマを減らすよう進言するが、相手にされないどころか「嘘の報告をして穀物を横領している。庶民が汗水垂らして作った小麦で私腹を肥やし、指導部に嘘をつくとはけしからん」と濡れ衣を着せられて粛清されてしまう。

つまり、飢饉自体がなかったことにされてしまったのだ。

当時はソ連邦は始まったばかり。どうしても成功した姿を世界的にアピールしたかったからだ。

しかし隠蔽したところで小麦は増えない。

だからウクライナ人が食べる分まで連邦内に輸出させた。ウクライナは広大なソ連を賄う大量の小麦を輸出し続け、国内では道端に餓死死体がゴロゴロ転がっている状態だった。



更にウクライナの庶民向けには「地主達がお前らが作った小麦を横領している。」と、飢餓の責任を地元の地主になすりつけて、対立を煽っていた。ウクライナ人が騙されたことに気がついた時は、もう抵抗などできない程国は疲弊してしまっていた。

徹底した隠蔽にも関わらず、やがてイギリスの報道機関にも事態が漏れてしまうが、スターリンは、「西側諸国の悪質なデマ」と一蹴する。今から考えると、とんでもない開き直りだが、当時のヨーロッパはどこもジリ貧で、とてもロシアに強く言える状態ではなかった。

このウクライナの大飢饉はホロドモールと呼ばれ、世界最悪の飢餓の1つとされている。しかも、人為的に起こされた飢餓。つまりソ連による虐殺とみなされている。スターリンの黒歴史の一つだ。


やがて第二次大戦が起こりナチスが侵攻してくると、ウクライナ国民は大喜びして、拍手喝采で解放軍ナチスドイツを歓待した。

しかし、結局ナチスからも同じような扱いを受け、再びソ連に奪い返されると、ナチスを歓待した人々が犯罪者として袋叩きにされる。

こういう経緯があるものだから、ウクライナでロシアに反感を持つ人には、ナチスに親近感を持っているイメージが持たれてしまう。