どうする家康の最終回で、強く興味を引かれたのが下の場面だ。
天海僧正が家康の伝記編纂を進める。あまりにも家康を礼賛し神格化しようとする天海に二代将軍秀忠は「やり過ぎ」と釘を刺す。
それに対して天海は「伝記なんて大げさに良く書けばいいんだよ」と退ける。
そして「あの頼朝だって実際はどんな奴だったか、わかったもんじゃない」と言って書棚に置かれている「吾妻鑑」をおもむろに手に取る。
見てわかると思うが、その時「源氏物語」が映るのだ。私はこの時ゾッとした。映画やドラマを見て、一瞬、物凄い伏線が見えた時に感じる感覚だ。
最近の大河ドラマでは、番宣を含めて最終回で次作を絡めた演出をするのが恒例になっている。
だから次作の「光る君へ」の宣伝を行っただけだと思うが、私はこの場面に、もしかしたら深い作者の意図があるのではないか、と感じた。
吾妻鑑は、鎌倉時代に執権北条氏が編纂した歴史書である。しかし、権力者の意図的な改竄がおおいことでも知られている。
初代頼朝は偉大に描かれ、二代頼家、三代実朝をポンコツとして描いている。
これは「俺たちが擁立した頼朝は良かったが、息子たちがポンコツすぎて、仕方なく俺たちが政権を担ってるんだ」と北条氏の政権簒奪を正当化しているのだ。
今では吾妻鑑は、捻じ曲げられた歴史書の代表になっている。
そこに源氏物語が一緒に映ることに私はどうしても意図を感じてしまう。
源氏物語は勿論、フィクション小説である。
しかし、その中の一場面に、源氏が妻たちと、文学の意義について議論する場面がある。
そこでは源氏が「小説なんて嘘つきが書く女の暇つぶし」と一蹴しながらも「でも見方によってはノンフィクションよりも真実を描いている一面もある」と結論づけている。
玉鬘の一場面だが、これは紫式部自身の認識として良い。
それを思い出したのだ。
当時は書物と言えば漢文が主流で、更には「物語」は一段下に見られていた。いわば「サブカルチャー」的なポジションだったのだ、今ならライトノベルに近い。
紫式部は、女性には珍しく漢籍にも秀でていたから「物語は女性の暇つぶし」と、男性の立場を理解しながらも、「必ずしも真実がないわけではない」と女性のたちばをは主張している。
嘘だらけの歴史書を書いた北条氏の義時を描いた「鎌倉都殿の13人」と、真実も描いているフィクションを書き上げた紫式部を描いた「光る君へ」。そこに挟まれているのは、嘘だらけの歴史だと思われていたら、実はフィクションの可能性もある「どうする家康」。
私には作者の「そもそも歴史なんて、事実はわからないだろ」という歴史物に対するアンチテーゼのような気がした。
あくまで私の個人的な感想だ。
裏を返すと、そう思わせるほど源氏物語は深いということだ。
鎌倉時代から日本は武人政治が続き、その最終形態を築いたのが家康だった。武人政治が600年以上続き、日本は他のアジア諸国とは一味違った文化ができる。
しかし、忘れてはいけないのは、武人政治が始まる前の文人政治の存在だ。
国風文化は文人政治の、文化面のある意味集大成と言える。
中国の文化を受容して爛熟した文芸が、仮名文学の勃興で一気に花開く。それを成し遂げたのは社会では圧迫されていた女性だった。
そしてその時代の文芸の集大成が源氏物語と言える。そして、武人中心の時代に移っても源氏物語は、クラシックとして受け継がれていく。晩年はカルチャースクールマニアの老人のように、勉強しまくってた徳川家康も、源氏物語の講義を受けていたと言う。
あの時代にあそこまで心理描写が繊細でプロットが良くできた小説がかけたのは、素晴らしいことだ。
源氏物語は、まさに日本の文学の源泉と言って良い。
国風文化を初めて大河ドラマ化してれたNHKには感謝したい。
今のところ、毎週本当に楽しく見させてもらっている。