「どうする家康」と「徳川家康」 | yunnkji1789のブログ

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意外なことに、徳川家康が大河ドラマで単独主役になったのは『どうする家康』以外は、1983年の『徳川家康』しかない。歴史的なロングセラーになった山岡庄八原作「徳川家康」が原作である。

私は大河ドラマ徳川家康は見たことがないが、原作は本当に名作だった。

戦後の高度成長期に大ヒットしたのがよく分かる。

戦争の惨禍を切り抜けて日本を再建した人たちには心強いバイブルだったろう。家康は平和を希求し、そのためなら我が身の犠牲も厭わない強い政治家として描かれる。

ラストで一番寝かせるのは、最後まで勘当した息子、忠輝を許さなかった所だ。

闊達で上昇志向が強すぎる故に利用されがちな忠輝を勘当し、死目にも呼ばなかった、そんな彼に唯一与えた遺品が「青葉の笛」という一本の笛だった。

それは「戦国の世は終わった。これからはもっと平和で優雅な生き方をしてくれ」というメッセージだった。



人にも厳しいが自分や身内にはそれ以上に厳しい、まさに「重い荷を背負って坂道を登るような」厳しく苦しい天下統一が描かれる。


どうする家康も、基本的には平和を希求して天下統一に向かう姿は同じだ。しかし、築山事件のように、どこか地に足のつかない、理想主義のような中二病感が漂う。


この違いがまさに誰の視点で描かれたかの違いではないだろうか。

つまり戦国体験者の家康視点か、戦国非体験者の家光視点か。


これは非常に重要なことだと思う。

山岡庄八は戦争体験者で、靖国神社の熱心な崇拝者でもあり、自宅に特攻隊で死んだ若者を祀る廟を作って毎日拝みながら、平和を希求してこの超長編小説を書き上げたらしい。つまり戦争体験者だからこそ「こんな思いを若者にさせてはいけない」というスタンスであり、その思いを家康に被せて書いた。

青葉の笛の逸話に託した家康から忠輝へのメッセージは、山岡から私達戦後の日本人に対するメッセージだと思っている。


私が子どもの頃は戦後50年、60年で、年配の人は戦争体験者が殆どで、高齢者なら、実際に戦場に出て殺し合いをしていた人も大勢いた。

今では実際に戦争体験をして、はっきり語れる人はなかなかいない、実際に戦場に出ていた人は本当に少ない。

令和の若者にとっては戦争など、私達以上に遠い世界の話だろう。


どうする家康の原作者古沢良太氏は、人気作をいくつも手掛けた。「面白い」作品づくりに定評がある。まさに視聴率至上主義の、商業的ドラマの申し子のような脚本家だ。命を削りながら、神に祈りながら書いた山岡庄八とは、真逆の存在とも言えるかもしれない。

だから軽い。戦はまるでゲームのようだし、少年漫画のようなペラペラな平和主義が語られる。


しかし、私は好きだった。 

戦争を知らない、飢えを知らない、恐怖を知らない。そんな私達だからこそ、共感できる。

そして、本当に人間らしく生きられるんだと思う。


「どうする家康」は、いわば「平和ボケ家康」と言えるかもしれない。

「平和ボケ」と言うと、反発する人もいるだろうが私は「平和ボケ」こそ、まさに人間のあるべき姿だと思う。

その「平和ボケ」は、『徳川家康』の家康が忠輝に望んだ姿でもある。


私は、令和に相応しい、素晴らしい徳川家康だったと賛嘆したい。