厄災 | yunnkji1789のブログ

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災害に限らず、後からならなんでも言える。

神田和泉町佐久間町を真似して東京大空襲に対峙した人々も、大川小学校も、10メートルしかない施設に避難した人々も。「いやいや考えろよ」と言ってしまえばそれまでになる。

しかしながら、臨機応変に考えろと言われるが、臨機応変に対応したらどんなリスクがあるのか、パニックの頭ではなかなかわからない。ましてや人の命を預かっているのだ。リスクがわからない選択に人を簡単に巻き込めない。

松島基地も、「なんで救難機地が、海岸ギリギリにあるんだよ」と言ってしまえばそれまでになる。

結局、臨機応変よりも、まずは失敗からマニュアルをアップデートしていくしかないのだ。


私が小学生の頃、阪神大震災があった。当時の行政の怠慢が、今でも非難されたりする。

総理大臣が「いやぁ、初めての経験だったもんで」と寝ぼけたような言い訳をしたのが有名だが、実は的を射た言葉だと思う。 

あのあと、災害救助体制が一気に整備された。特に各地に配置された消防のハイパーレスキュー隊は、東日本大震災で大いに活躍する。

それ以外にも、様々な災害救助マニュアルができて、各救助隊がかなり効率的に動いた。


今回の能登地震ではDMAT.JMATの活躍が目立つように感じる。元々DMATだけだったのだが、様々な活動の中で、DMATの後を引き継ぐ団体の必要性が出てきて、JMATが創設された。更に東日本大震災で様々な問題点、課題を洗い出し改善して、今日に至っている。

また、要介護の入院患者が、かなり早い段階で各県に避難が決まったのが印象だが、報道によると、現状を見たDMAT隊員たちが、地元の各都道府県庁に要請したのが大きそうだ。そうだとしたら、素晴らしい臨機応変な動きだ。DMATは、機動性が求められるから若手が多い。テレビで見ても私の教え子でもおかしくないような顔をした医師や看護師が必死に働いてみえて頭がさがる。そんな若い人達が動いたのだとしたら素晴らしい。

臨機応変も、結局は積み重ねがしっかりしているからこそできるのだと思う。


私は正月は母の看病に費やしたことは書いた。敢えて書かなかったが、実はその後、自分がインフルエンザをもらい39℃の熱を出した。しばらく職場には帰らなくてよかったが、まだ罹っていない父にうつさないように、フラフラで運転して自宅に帰った。

散々の正月だったが、良い正月だった。


正月早々の大地震。被災地の方は本当に気の毒だし、救助に当たってみえた方、今も頑張ってみえる方には頭がさがる。

ただ、これは、ある意味日本には吉兆かもしれないと考える。この地震を糧に一歩とは言わない、半歩でも前に進めたら。その半歩のために失われた何百人もの多くの人の命も苦痛も報われるかもしれない。これは、能登からもらった大きな奇貨かもしれない。

本当に今年は、良い年になることを願うばかりだ。