大川小学校は、東日本大震災で全校生徒の7割が津波で亡くなったことで知られている。
津波警報が出ていたにも関わらず、教員が避難をさせなかった。そもそも避難計画がなかった。と学校の怠慢による人災として語られることが多い。
勿論人災の側面があるのは間違いない。ただ、こういうことを言うと身内を庇っていると言われそうだが、学校だけが、世間で言われているように悪いとは思わない。
まず、避難計画がなかったことに関してはある意味当たり前でもある。私が今まで行った高校はどこも津波の避難計画がなかった。「何を言ってるんだ?岐阜だから津波が来るわけ無いだろ」と思った人も多いだろう。
それと同じで、大川小学校も基本的には津波が来ないはずのない場所だったのだ。
だから地元住民も津波から逃げるため続々集まっていた。
学校では子どもたちがグランドに避難し終わって全員の無事が確認されていた。
教師達は「ここも危ないのではないか?」と考えて更に避難することを考える。裏に山があるが、元々足場が悪い。更に地震で倒木が散乱していて、足場も余計に悪くなっている可能性もあり、どうなっているかわからない。
教師が避難してきた土地勘のある地元住民に、良い避難場所がないか聞いてまわったが「この学校が一番安全だ」「裏山は危ない、子供らにあんな所のぼらせるな」という意見が大半だった。なんとか子どもたちは校庭への避難と点呼は終えていたがパニック状態で泣き叫ぶ子は勿論、嘔吐する子もいる状態で、今更どこかに移動させるのは非常に難しい状態だった。
保護者の中でも、当時の学校の対応に関しては評価が別れていて、実際に迎えに行ってグランドの子ども達の悲惨な状態を目の当たりにした親には「あの状態で、よく一人も漏らさずにグランドに集めて点呼できたものだ」と言っている人もいるそうだ。
殆どの教師は、考えるどころではなく、迎えに来た親の対応と、パニックになっている子どもの安全確保で手一杯だった。
そもそも、なぜ住民たちは学校が安全だと断定していたかだが、当時のハザードマップがあったからだ。大川小学校は、津波の危険がない位置だった。
つまり、学校が安全だと言ったのは、普段から防災ハザードマップを見て確認していた、意識が高い住民だった。
ハザードマップの想定を越える津波が発生していたのだ。
むしろ、大川小学校の教師達は、以前から想定を越えた津波が発生する可能性を考えて避難方法を検討していた。それが裏山に避難することだったのだが、裏山は泥炭地でぬかるみが酷かった。だから裏山の登山道を整備しようと計画していた最中に震災が発生してしまったのだ。