鳳山雑記帳アメブロ版

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立花鳳山と申します。ヤフーブログが2019年閉鎖になったのでこちらに引っ越してきました。歴史ネタを中心に好き勝手なことを書いています。宜しくお願いします。

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 私は一つのことを気になりだすと関連する情報も集めたくなる性格でして、この前モンゴルのジャワ侵攻を書きましたので他にもモンゴルから侵略されたアジア諸国が無かったか調べてみました。一般受けはしないでしょうが、興味のある方(ほとんどいないと思う)だけ付いてきてください。

 

 過去記事で日本への元寇、大越・占城への侵攻、ビルマ(パガン朝)への侵攻は紹介しました。中東やインドはもちろんです。高麗に関してはいつか書くかもしれませんがあまりにも情けない顛末なので興味は湧きません。モンゴル帝国(元朝)と国境を接している国で侵略から逃れた国があったのか調べてみたんですが、ほとんど例外が無く何とタイにまで手を出していたと知り呆れるばかりです。

 

 当時のタイは、華南地方から南下してきたタイ族が当時東南アジアの覇権国だったカンボジアのアンコール王朝からメナム川(チャオプラヤー川)下流の肥沃なデルタ地帯を奪ってスコータイ朝を建国していました。タイ族の流入は断続的に続き一番北のチェンマイ盆地にはラーンナー王国が成立します。

 

 ラーンナー王国は別名八百媳婦国(はっぴゃくふそうこく)と呼ばれ、伝説では王の妻(媳婦)が800人おりそれぞれが全国各地の砦を治めていたと言われますが、どこまで本当か分かりません。

 

 モンゴル帝国第5代ハーンにして元朝初代皇帝フビライハーンは、雲南にある大理国、チベットを征服すると雲南には六男フゲチを封じて雲南王、チベットには七男アウルクチを封じて西平国王にしました。当時のチベットは全体で56万人の人口がいましたが、一番豊かな北東の青海地方は元朝の版図に組み入れられたため中央高原だけでわずか22万人位しか人口がいなかったと言われます。

 

 一方、雲南地方は歴代独立政権が誕生したように豊かで100万人から最大で200万人の人口があったそうです。モンゴルの東南アジア侵略はこの雲南王国が先兵となりました。ビルマのパガン朝に侵攻したのはまさに雲南王フゲチの率いる元軍でした。1286年最終的にパガン朝を滅ぼしたのもフゲチの息子で第二代雲南王を継いだエセン・テムルです。

 

 モンゴルがタイのラーンナー王国に最初に侵入したのは1282年だと言われますから、ビルマのパガン朝侵攻と同時期にタイにも出兵していたことになります。ただ遠征の主軸はパガン王朝でラーンナー王国への侵攻はついでだったらしくこの時は何ら成果を上げられず撤退したそうです。

 

 1284年雲南西南部の騰越・永昌・羅必丹(羅必甸)で、支配下のタイ系少数民族が大規模な反乱を起こしました。これをザルダンダン(金歯)の乱と呼びますが、当時タイ系少数民族の歯に金のカバーを被せる風習からそう呼ばれました。反乱は雲南王国だけでは鎮圧できず、四川地方の司令官だったイェスデル(サルジウト部出身の将軍)や中央の都元帥耶律忙古帯(やりつまんぐたい、契丹族出身)らの援軍を得てようやく鎮圧します。

 

 雲南に反乱鎮圧のための大軍が集まると、ついでに隣国ラーンナー王国にも侵攻しようという話になります。そんなふざけた理由で侵略されたらたまったものではないのですが、主力はビルマ遠征に割かれ瘴癘の地であるラーンナーでモンゴル兵は疾病に苦しみまたしてもほとんど成果を上げられるまま撤兵しました。

 

 何度失敗しても懲りないところがモンゴルの長所でもあり短所でもあるんですが、1280年代は大越、占城と失敗続きでありどこか一つでも成功させようと考えたのか、1290年再度ラーンナー王国侵攻が決まりました。遠征軍はラーンナーの地に入りますが、ラーンナー軍の抵抗も激しく、悪いことに雨期に遭遇し河川の大規模氾濫に巻き込まれ撤退したそうです。場所は現在のタイ領内ではなく、ビルマ東部でタイ国境に近いケントゥン(現チャイントン)でした。当時はそこもラーンナー領だったのでしょう。

 

 ケントゥンにはラーンナー王マンラーイの子ナムトゥアムが冊封されていました。結局モンゴル軍のラーンナー王国侵攻はグダグダに終わりますが、ラーンナー側もいつまでも抵抗を続ければじり貧になるという自覚があったのでしょう。モンゴルの侵略を防ぐために元朝に服属しました。

 

 ただし心から心服していたわけではなくラーンナーはたびたび元朝に対して反乱を起こします。元朝はそのたびに討伐軍を送りますが、遠征の度に挑発される華南の住民は疲弊していきました。1302年の遠征では元軍がラーンナーの反乱軍に敗れ元の朝廷では「瘴癘の地であるラーンナーを治めても百害あって一利なし」と事実上放棄が決まります。結局、高温多湿で密林地帯の広がるラーンナーではさしものモンゴル騎兵も活躍できなかったのでしょう。

 

 ラーンナー王国は、タイ南部の平野地帯でスコータイ朝、アユタヤ朝が成立した後も独立を保ち続けます。ところが1558年隣国ビルマの侵攻を受け滅ぼされました。ただ、住民はビルマの支配を良しとせず抵抗運動を続け1774年タイのトンブリー朝タークシン王に寝返り、以後この地はタイの領土となります。

 

 

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 日本が主催する国際スポーツの大会って東京五輪に代表されるように評判が良く、食事も大好評という話をよく聞きます。それは運営がしっかりしているからでしょうし、何より選手ファーストで運営されているからでしょう。

 

 ところが、今回の名古屋アジア大会は悪評ばかりが目立ちます。国歌の取り違えもあり得ないし選手村では水漏れ、部屋が狭い、男女同室になるなど常識では考えられない大失態ばかりです。食事も日本で行われる国際大会では信じられないほどお粗末だとか。

 

 どうしてこんなことになったのか他人事ながら関心があったんですが、どうやらシナが中心になって運営しているみたいですね。媚中の大村知事がやらかしたのでしょう。そして目立ちませんが名古屋市長の広沢一郎氏も怪しい。どうして運営がシナに丸投げになったのかその経緯を明らかにすべきだし、自身で運営できないならそもそもアジア大会を招致すべきではなかったはずです。

 

 このあたり全く関心が無かったので詳細は分かりませんが、ますますアジア大会に興味が失せました。反日テレビのTBSが肝いりで放送しているのも見たくない理由の一つです。はっきり言って選手の人たちには悪いですが、日本が優勝しようと何位になろうと全く関心ありません。

 

 この件に関しては語るべき情報もないし調べる気も無いためここらへんで止めておきますが、皆さんはアジア大会ご覧になっていますか?

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 連休中、高速道路が混むためにトラックに高速道路を利用するなと暴言を吐く愚か者がいるそうです。トラックは物流の要です。いま私たちが快適に暮らしていけるのもトラックをはじめとする物流がまともに機能しているからです。もしそれが滞ったら私たちが日々買い物している食料品も手に入らなくなりますよ。特に卵、野菜、肉、鮮魚などの生鮮食料品は産地から小売りまで短時間で届かないと食べられなくなります。

 

 レジャーのための高速利用と、生活のためのトラックの高速利用、どちらが大事かまともな想像力があるなら分かるはず。そんなことも理解できないような愚か者が存在することも驚きですが、そんな輩が一定数いるから日本は良くならないし選挙でもまともな政治家が生まれないんでしょうね。そもそもこういった輩が真面目に選挙に言っているかどうかも疑問ですが。

 

 私ならトラックを見かけたら、私たちの生活を支えていただいてありがとうと感謝しますけどね。レジャーのために高速利用してもトラックに文句は言わないし、むしろ流通の邪魔をしないために自分たちが一般道路を使いますよ。

 

 世の中には一定数おかしな連中がいるんだなと痛感した次第です。今日の記事、本当は福岡市長選の佐々木彩乃氏や新たに出てきた横浜市長選の反日極左候補、共産党のあさか由香氏を深堀りする予定でしたが、これはそれぞれの有権者が良識を示すものであって外野の私がとやかく言うのもどうだろうかと思っていたところ、Xでこの話題が丁度出ていたのでこちらを取り上げてみました。

 

 佐々木候補に関しては、シナ勢力のほかに新たにハゲタカファンドである村上ファンド(福岡都市圏の再開発利権絡み)がバックについているという情報も出てきたので、いずれ取り上げるかもしれません。

 

 それにしても、今の日本常識が通じないおかしなことばかり起こりますね。懐古主義と馬鹿にされそうですが、古き良き時代はこのような不安も少なく国民ももっとまともだったと思い出すばかりです。もちろん、昭和、平成時代もおかしなことは数多くありましたが、令和の時代はそのおかしなことがより増幅しているように個人的には感じます。

 

 皆さんは今の世の中、どう感じますか?昔よりは良くなったと思われるか、それとも昔からさらに悪くなっていると思われますか?

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 2026年11月1日告示、11月15日投開票の福岡市長選。今のところ9人が立候補予定だそうです。私の一押しは日本保守党の森健太郎氏ですが、それは言いますまい。それよりも絶対に投票すべきでないと私が思う人物がいます。

 

 それが佐々木彩乃氏。まだ29歳の若さながら習近平と同じ精華大学出身。それも『中国について理解のある将来のリーダーを育成するため設立された』奨学金で学んだそうです。完全なシナの手先と見られても仕方ありません。ダボス会議アジア代表というのも怪しすぎるし、何より会見で見せたガンギマリの目線は恐怖そのもの。人間味を全く感じません。福岡市長になるために選ばれた工作員というような印象を受けました。

 

 これはあくまで個人の感想なので、もし福岡市の有権者の方がいたらご自身で調べて判断してください。ただチームみらいの連中と同様、何か闇の力が働いていると想像してしまいます。そういえばチームみらいの常識ではありえない大躍進も今考えれば異常でした。今回の佐々木氏の件といい日本を裏から支配しようという闇の勢力の存在を疑わざるを得ません。

 

 沖縄県知事選では、暗黒の4年が再び続くかと心配していましたが県民が良識を示してくれました。はてさて、福岡市の有権者はどういう判断を下すのでしょうか?今回の福岡市長選も有権者の民度が問われていると思いますよ。若いから新鮮だ、何かやってくれるに違いない、などのくだらない理由で投票し、もしシナの手先のグローバリストが当選したら福岡市はどうなりますか?沖縄の玉城デニー県政で分かっているはずですよ。

 

 そうなれば福岡市は外国人移民をどんどん受け入れ川口市のような暗黒社会になるでしょうね。そうでなくとも福岡市はシナ人や朝鮮人が多い印象ですから。福岡市長選も注目の選挙となりました。皆さんは佐々木彩乃氏の印象、どう受け取りましたか?

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 かつて元朝(モンゴル帝国)の侵略を免れた国として、日本(元寇)、大越・占城(チャンパ)の戦いを紹介しました。実はアジアにおいてもう一つ元軍の侵攻を退けた国にジャワがあります。私はこの地域に覇権を築いたマジャパヒト王国が撃退したと勘違いしていたんですが、調べてみるとマジャパヒト王国の成立は1293年で、元軍のジャワ島侵攻は同じ年なので元軍の侵略を防いだ結果マジャパヒト王国が成立したのだと分かりました。

 

 発端は、ユーラシアの交易路を支配した元朝(モンゴル帝国)が次に狙ったのが海洋交易路だったことです。日本への侵略所謂元寇は宿敵南宋を倒すため、南宋の準同盟国で火薬の原料である硫黄の輸出国だった日本をまず叩こうとしたのが原因でした。次に大越、占城への侵略ですが、現在のベトナム中部に栄えたチャム族の国占城が交易国家として栄えそれを支配下に置こうとしたのが最初でした。占城を小国と舐めきった元軍は、海路わずか5000人の兵力で攻め込みます。元軍は占城の首都ヴィジャヤを簡単に占領しますが、占城軍は山岳地帯に逃げ込み抵抗を続けます。元軍はこれを討伐すべく山岳地帯に兵を進めますが、泥沼の膠着戦に陥り占城軍の別動隊に首都を奪還されてしまいました。

 

 補給を断たれた元の侵攻軍は、進退窮まり北方の大越(ベトナム北部)との国境地帯に要塞を築き立て籠もります。時の大ハーン、フビライは占城侵攻軍を救出するには陸路を進むしかないと大越国に50万人の大軍で侵攻しました。そんな理由で侵略された大越国としてはたまったものではなく、激しく抵抗します。こちらも大越は首都昇龍(タイロン、現在のハノイ)をわざと明け渡し、紅(ファン)河下流のデルタ地帯に立て籠もりゲリラ戦を仕掛けました。大越軍は神出鬼没の機動で元軍の補給を断って苦しめます。疲弊した元軍が一時撤退しようとした瞬間、白藤江の河口で戦いを挑み見事大勝利を収めました。結果、元の占城侵攻軍は行方不明、大越侵攻軍は壊滅的打撃を受け、さすがのフビライも両国への侵略を諦めたほどです。

 

 前置きが非常に長くなりましたので本題に戻ると、元朝のフビライハーンは1280年ジャワ島を平和裏に支配下に置くべく使者を送りました。フビライはジャワ国王(シンガサリ朝)に来朝して服属するように求めましたが、ジャワ国王はこれを無視。懲りずにフビライは1289年再び使者を送ります。ところが、服属する気のない時の国王クルタナガラはこれを怒り使者に入れ墨をして送り返しました。

 

 面目を潰されたフビライは烈火のごとく怒りついにジャワ島侵略を命じます。兵船五百艘(千艘という説もあり)に2万の兵士を載せ泉州など各地から出港させました。現在のジャワ島の人口は1億5000万人もおり、そんな大国にわずか2万ばかりの兵ではどうしようもないと思ったんですが、当時の人口は約350万人ほどでフビライとしては精強な元軍なら弱兵のジャワ軍など鎧袖一触だと考えていたのでしょう。それでも、クルタナガラ王は20万人の兵力を動員できたそうですから、やはり無謀な賭けだったように思えます。

 

 しかしそんな元軍に助け船が現れます。ジャワ島東部で反乱が起こったのです。クルタナガラ王は娘婿のウィジャヤに軍を与え討伐に向かわせますが、反乱を起こした旧クディリ王家の末裔ジャヤカトワン王は別動隊を派遣しシンガサリ朝の首都トゥマペルが陥落、国王クルタナガラも戦死してしまいました。

 

 進退窮まったのはクルタナガラ王から討伐軍を与えられていたウィジャヤです。彼はとんでもない決断をします。侵略してきた元軍に協力を申し出たのです。元軍としても現地で有力な協力者を得るのは大歓迎で、楽観論が広がります。当初の目的はクルタナガラ王の討伐でしたが、これに取って代わったジャヤカトワン王の討伐に変わったのです。敵が大混乱に陥った今なら簡単に征服できると思ったのでしょう。

 

 実際、土地勘のあるウィジャヤの案内で元軍はジャヤカトワン王の本拠地クデリに至ります。この時シャヤカトワン王は10万の兵力で迎え撃ったそうですが、ダハの戦いで元軍はジャヤカトワン王の軍を破りついに降伏に追い込みました。ジャヤカトワンは処刑されたそうです。

 

 ここまでなら元軍のジャワ島侵攻は大成功でしたが、ウィジャヤにとっては宿敵ジャヤカトワンを倒すために元軍を利用しただけに過ぎませんでした。元軍が協力者としてウィジャヤに自由行動をとらせていたのが仇となったのです。ウィジャヤは言葉巧みに元軍の司令官たちを誘い、のこのことやってきた司令官たちを殺害しました。指揮官を失った元軍は大混乱に陥りウィジャヤ軍の攻撃で総崩れになります。命からがら船で脱出した元軍ですがジャワ島で奪った金銀財宝は無事持ち帰ったので、厳しい処分は下されず軽い処分で済みました。

 

 元軍を追放したウィジャヤは自らの王国を建国します。かつてウィジャヤが建国の際逃げ込んだ土地にマジャの木が多くその実で兵士の飢えをしのいだことから首都及び国名をマジャパヒトと名付けました。マジャパヒト王国は順調に発展を続け、ジャワ島はもとよりスマトラ島、ボルネオ島、マレー半島に版図を広げ1527年まで続きます。

 

 マジャパヒト王国が滅んだのは明朝の鄭和艦隊の遠征が原因でした。鄭和はマレー半島に傀儡のマラッカ王国を成立させます。貿易の中心はマラッカ王国に移り、マジャパヒト王国の領域の各地にもイスラム教国が次々と建国されました。最後は王位継承争いと周辺のイスラム勢力との戦いで消耗し滅亡します。