ハンデキャップ | yunnkji1789のブログ

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以前、私の父が物凄い真面目人間で、外食中にアフリカの飢餓の話をしだしたりすることは書いたが、要は空気を読むことが苦手なのである。

今でもそれで、偶に父は兄と喧嘩をするのだが、私が帰省している時は私は必ず父の肩を持つ。

兄からすると、私がそうやって父を甘やかしてきたから父が増長してしまったとのことだが、

私はある程度やむを得ないと考えている。


父は、肢体に軽い障がいがある。

スポーツもある程度できるし、国立大学を出て教師になっているのだから一般人と変わらないのだが、話を聞く限り、障がいの影響で小さい頃友達と遊ぶ経験が殆どなかったらしい。

だから、コミニケーションや人付き合いが、教科書的というか、生活味がない感じになってしまう。

と、私は推測している。


それを言うと兄は「もっと重い障害でもちゃんとやってる人もいるだろ、甘えだ!」と返してくる。


世の中には、障がいのあるなしに関わらず、器用な人も不器用な人もいる。

器用な人なら、小さい頃遊べなくても、大人になってから頭で考えて上手く立ち回っていくだろうし、不器用な人なら、小さい頃に遊べても、拗らせてばかりだろう。

だが、経験がある人とない人では、器用不器用の線引に若干の、違いが出てくるのは間違いない。だからより努力が必要になる。

それがハンデキャップというものだ。


兄のような理論は凄い多い。

新聞に、犯人が母子家庭に育った、と書いただけで、「母子家庭でもちゃんと育っている人はいるぞ!」と騒ぐ人をよく見かける。

母子家庭だから人を殺したという意味ではないのだが。中には記者は死刑廃止論者で、死刑回避のために書いている、と一周回りきった物凄い穿った疑惑まで持ち出す人もいる。


テレビでは障がい者の中でも器用な人たちが出て、色んなことをできることが紹介されたりする。

他にも、若者より若々しい老人、貧しい家庭に育ったけど今は大富豪になってる社長、男性の中で活躍している女性重役、そういうハンデキャップを乗り越えている人が紹介されると「ほら、あんなに頑張ってる人もいるじゃないか、言い訳しちゃだめだ」と言う人がいる。

そうではない。「私は男性の2倍努力しました」と言ったりする女性重役に、私達は「2倍努力したら男性と対等になれる」ということではなく「2倍努力しないと男性と対等になれない」ということを学ばないといけない。

貧困家庭で、塾もいけない、参考書も買えない、アルバイトもしないといけない、だから、睡眠時間を削って、他の人の何倍も猛勉強して東大に入りました。 

「貧乏でも東大に入れる」じゃなくて「貧乏だと何倍も勉強しないと東大入れない」の方が問題なのだ。



一番辛い思いをしたのは、私達ではない、父だ。「障がいがあっても人より努力すればコミニケーション能力は身につく」ということではなく、「障がいがあると、人より努力しないとコミニケーション能力がつかない」という観点で見ないといけないと思う。


そういう、ハンデキャップに寛容な社会であって欲しいと思っている。