人は常に敵が欲しい | yunnkji1789のブログ

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人間は、本能として平和を好むと同時に攻撃欲求もあると言われている。だから、アクション映画や戦争映画、チャンバラドラマを好んでみて、子ども向けアニメも四六時中あまり必然性のないバトルばかりしている。また、喧嘩祭りのような乱暴な祭りは古今東西存在する。岐阜の「起こし太鼓」も有名。
戦争がなくならないのも、実は人間が本能的に欲しているからだと言われている。
人は無意識に、戦いや敵を求めがちなものだと思った方がいいだろう。
そのためにどうするかというと、異なる者に対する必要以上の危機感を煽る。「戦いや敵」などの仰々しいものでなくても、例えばテレビのワイドショーのゴシップネタも似たようなもの。
理由があるから喧嘩をするというより、喧嘩をしたいから理由を探し出す。なければ理由を作り出す。ということになってしまう。勿論本人には自覚がない。
差別というものはそういうものだ。黒人差別だってユダヤ人差別だってパレスチナ人差別だって、している人は「別に差別なんかしたくないが、理由があるから仕方ない」という前提でしている。仮に、その「理由」が解消されても、誰かが別の「理由」をどこからともなく探しだして来て拡散し、差別したい人々はその新しい「理由」に乗っかって差別は継続する。関東大震災の虐殺も、実際はそうなんだろう。卵が先だったか鶏が先だったかは知らないが、極度の不安の中で、敵を欲する集団心理が、朝鮮人のテロというデマを作り出した、もしくは増幅させたんだと思う。
じゃあ、そうやって作り出した「敵」が、意外にものわかりがよくて、こちらに全面降伏したらどうするか。もしくは全くのデマだとわかったらどうするから。
「いやいや、嘘つくなよ、本当は降伏なんかしてないんだろ?」
「そんなはずない、あいつらがそんな物わかりいいはずがない。絶対にデマだ!」と、無理矢理喧嘩を継続させてしまう。新しい敵が見つかるまで。
アンチネトウヨも反反日も実はやってることは同じ。ネトウヨが「心を入れ換えるよ」と言っても、反日国家が、「私たちが間違っていました」と認めても、「嘘だ!内心は違うんだろ」と絶対に認めないだろう。