明治になってから諭吉が徒歩旅行をしていた時、ふざけて百姓のような態度で、背中を丸めて、手を擦り合わせて、猫なで声で通行人に道を尋ねてみた。相手は諭吉を侮蔑するような横柄な態度で適当に教えて去っていった。
次の人には、士族のような態度で「その方、道を教えよ」とふんぞり返って尋ねたら、突然ペコペコしだして、丁寧に道を教えてくれた。
これは面白いと思ってすれ違う人ごとに交互に繰り返したら、皆同じような態度をとる。中には百姓諭吉を無視して行く人、士族諭吉に怯えて声も出せない人までいた。
そして、その後「私はこんなこと絶対にしない」と、前回のブログの内容につながるのである。ただし前いったように「肉体労働者」には横柄な態度をとるのだが
もうひとつこんなエピソードもある。
これまた明治以降の話で同じく旅行をしていたら正面から百姓風の男が馬に乗ってやって来た。士族風の諭吉を見た百姓はすぐに馬から降りる。
慶応以前は、それが常識だった。しかし今は明治である。諭吉は、「なんで俺たちを見たとたん馬から降りた、今は平等なんだから誰も咎めない、自分の馬なんだから乗れ」と詰め寄るが、百姓はただ「滅相もない」と恐縮するばかり。諭吉も頑固なものだから百姓を引き留めて「乗れと言ったら乗れ!」と怒鳴り付け、長い間「乗れ!」「滅相もない」というやり取りを延々続き、最後は百姓がおれて「それならば恐縮ですが」と馬に乗って、百姓は立ち去ることができる。
百姓にとっては本当に迷惑な話だが、
彼が言いたいのは差別とは、差別する側だけでなく、差別される側も悪い場合が多いということ。
勿論差別される理由がある、という意味ではない。
差別される側自身が差別体制の中に敢えて浸かっているのだ。
身分社会というものはあり意味楽でもある。とりあえず、上が決めたルールに盲目に従っていれば生きてゆける。しかし、それは奴隷根性である。
諭吉自身は幕藩体制の身分制度に強い憤りを感じていた。中津藩では、無能で家柄だけのやつらの下で顎で使われ、猛烈な努力でようやく認められて幕府に登用されたと思ったら、単なる英語翻訳要員としてこきつかわれる。
その憤慨が彼をあそこまで持ち上げた。
だからこそ、自由と平等に対する渇望は大きかったのだ。