母国なのに異国みたいとは?
# 5年ぶりに待望の本帰国したのに日本は異国のようでした海外赴任から帰国したときの話です。こう書くと、たいていの方が不思議そうな顔をします。逆じゃないの、と。私も、帰る前まではそう思っていました。海外転勤から帰国して、最初に感じたのは安堵でした。海外ではやはり、どこかで気を張って暮らしていましたから。ようやく母国に戻れた!と。帰国した翌日から、夫は会社へ通い始め子どもたちも手続きが済んで、それぞれの学校へ。私は毎日、段ボールを開けては片付けていました。さあ、これから日本での生活が始まる。そう思って、むしろ張り切っていましたそして、最後の段ボールがなくなった時想いもよらぬことが・・・きれいに片付いた部屋に、ぽつんと一人。そのとき、気づいたのです。**私には、何もやることがない。**張りつめていた糸が、パチンと切れました。宙ぶらりんになったまま、そこから動けなくなりました。何をする元気もなく、ただぼんやりしていたことを覚えています。行くところがない!やることがない!まわりを見れば、みんなそれぞれの生活を持っていました。行くところがあり、やることがある。私にだけ、それがありませんでした。私はどうすればいいのだろう。何をすればいいのだろう。どーんと、どん底に落ちた気分でした。なぜあんなに落ち込んだのか、当時の私にはわかりませんでした。今になって振り返ると、思い当たることがあります。私たちが海外にいたころは、日本で働いていた方も仕事を辞めて赴任してきていました。海外では頼る人がいない。だから、みんなで助け合って暮らしていたのです。誰かが体調を崩せばご飯を届け、手が回らないときは子どもを預かる。そこではお互いがお互いを必要とされていました。ところが日本に帰ってくると、助け合う必要がありません。まわりの人たちは、ちゃんと地に足をつけて自分たちの生活をしている。でも、私の居場所がなかった!言葉は通じます。勝手もわかります。それなのに、自分だけが浮いている。海外にいたころより、よほど心細かった!まるで、異国のようでした。その気持ちは誰にも言えなかった!そんなとき、娘のママ友でお医者さまをしている方にこう言われました「落ち着いたら、何かすることを見つけてしなさいね」私を思っての言葉です。けれど当時の私にはグサっと刺さりました。何か見つけなきゃ!と気持ちだけが空回りしていきましたすぐに何かが見つかったわけではありません子どもが大好きだった私は、小さな子と接していたいと思って調べまくり、だいぶ経って幼稚園・小学校のお受験塾のパートにたどり着いたのです。昨日、当時の私と同じ人に会いましたその方もまた、夫の海外転勤に同行し帰国した際、私と同じ気持ちだったと話してくれましたホッとしたこと。そのあとに来た虚無感。どこにも行くところがない、あの感じ。この話を、私は長いあいだ誰にもしたことがありませんでした。海外に住めていいなぁ。と言われることばかりでしたでも、いたのです。同じ気持ちを味わっていた人が。あれから30年以上経った今、同じ気持ちだった人にあってその時の自分たちを共有できて気持ちがひとつ軽くなりました。私は今、自分自身の自分史を作っています。この帰国後の時期は、正直に言えば書きたくない場面でした。どん底だった時期だったからです人生の空白のように思っていました。けれど書き出してみて、気づいたことがあります。あのとき私が味わっていた虚無感は**必要とされる場所**がないという想いだったのかも・・・海外で私がやっていたことは、ご飯を届けたり子どもを預かったり、大したことではありません。誰にでもできることです。それでも、あれがなくなった瞬間に、私は宙ぶらりんになりました。そしてそのあと私が選んだのは、小さな子どもと接する仕事でした。たぶん、偶然ではないと思います。何もしていなかったと思い込んでいた時期に、私は自分が何を必要としているのかを、いちばんはっきり突きつけられていたのです。これは一人で自分史を書き出したときには見えないことでした。最初に出てきたのは「帰国後、しばらく落ち込んだ」の一行だけ。三行で終わりです。そこから「必要とされる場所を失っていた」まで降りるのに必要だったのは、人に問い返されることでした。何もなかったと思っている時期ほど、実は何かが隠れているのです