気合いを入れる時は本格的なピラフを作るんですが、今日はニンニク、生姜入りバターライスで。
カレーは身体にもいいし、今日のような日にぴったり。
明日は仕事だから、デトックスドリンクも作った。
ここ1週間ほどデトックスドリンクを切らしてたのも、疲労が溜まった原因かも。
ここまで疲れたのも久しぶり。
やっぱりデトックスドリンクを切らせたらアカンね。
オバハンは一気にヤラれてしまう。
さて、昨日母から久しぶりに電話が。
最後に話したのは、従兄弟が他界して大変や、と1人で空回りしてた時。
従兄弟の家に「預けてる」タンスを取りに行くの、ほんで大阪に送るの、と大騒ぎしてたんですが…。
昨日の電話はまたヤケに楽しそう。
「この間、ホンマにありがとう」
「え?」
「この間ってこともないけど…。ホンマに楽しかった!」
エライまた今日は機嫌がエエな、と思ってたら…。
「今日な、また◯◯(界隈で唯一のショッピングビル)に連れて行ってくれるねん!」
やっぱりソレかい。
今日はタンスのタの字も出なんだ。
タンスのことは忘れてしもたと見た。
そういえば、前回にご機嫌で電話して来て「大阪行くの止めたわ」と言ったのも、ショッピングビルに連れて行ってもらった翌日やった。
母の施設では、どうやら月イチで連れて行ってくれる模様。
有難いです。
隔週で連れて行ってくれたら、もっと助かるねんけどな。
それにしても、母って昔からこんなに外出好きやったかな、と思う。
社交的ではあったけど、外出好きやという認識はなかった。
両親に経済的な余裕が出てからは、美味しいモンもいっぱい食べに連れて行ってもらったけど、アレは父がそういうのが好きなんや、と思ってた。
私が高校生の頃、大阪第一ビルやったと思うけど、そこに高級中華が入ってて、しょっちゅう連れて行ってもらってた。
その後は決まって隣りの丸ビルの中にあるパーラーに寄ってチョコパフェで締め。
たまに父がマンゴーが食べたいな、とか言い出して、「空港に行ったらあるかも」と空港まで車を飛ばしたり。
そういうことは、全部父が好きなんだと思ってた。
でも実は母も同じくらい好きやったんかも。
あるいはそれで味をしめたんかな。
私は若い時に日本を出てるから、私の知らん一面やった可能性はある。
一方で、認知症になって度が増した気もする。
そういえば最後に母が来た時も、ほぼ3カ月母の希望で外食やった。
「ママな、外で食べたいねん」
私は母の経済実情を知らなかったし、母は景気良くグッチだのなんだの買ってたから、てっきり父が亡くなって経済的に余裕が出たんだと思ってた。
認知症とも知らんかったしね。
それでほとんど母が出してくれてたんです。一方私は主人が他界して裁判になり、反対にトラストに記載されてる銀行口座に手を付けられない状態だったから、毎日外食する余裕はなかった。
でもいくら母に余裕があると思っていても、申し訳ないからたまに安いとこに連れて行ったんです。すると、
「あのな、ママは旅行で来てるねんから、エエとこで食べたいねんで。こんな安っぽいとこは嫌やねん」
と言われて、タコスタンドはヤメタ。
旅行に来てる、と言っても3カ月近くいたでしょ。
ハワイやロサンゼルスに住んでいた時も、来ると1カ月はいたけれど、そんなに毎日外食した記憶もない。
そう考えると、認知症になって拍車がかかった可能性が高いかも。そういえばその前に私が日本にいた3週間も、母は家で料理はしなかった。
あの頃からどっぷりと認知症にハマってたんですよね。それでもう料理ができなかったんだと思う。
今振り返ると、認知症の症状でいっぱいやったんですが、特に印象に残ってるのが母のこの台詞。
「おばあちゃん(母の母)の顔も忘れてしもたわ。あんなに大好きやったのに、どんな顔してたんか思い出されへん」
コレが決め手になるべきやった。
それでも聞き流してしもたんは、親が認知症だと信じたくなかったからやと思う。
母の場合、コロナがあったから自分から施設に入ると言い出して救われた。
あのまま1人で好き勝手に生活してたら、どうなってたことか。
この先どうなるかわかれへんけど、1日でも長く機嫌良く過ごして欲しい。
そのためにも、私は頑張ってお仕事しよう。
デトックスドリンク飲んで頑張るぞ。
#InThisTogether
#AloneTogether
#MyMomHasDementia
ひとりでもひとりぼっちじゃないから。
皆んなでお互いを思いやり、助け合い、励まし合ったら乗り切れるから。
今日も無事に過ごせたことに感謝して、明日も一緒に頑張りましょうね。
【記事の一部を引用する時は、「ラスベガス的リタイアの法則:(タイトル)から引用」と記して、リンクを貼っていただけますようお願いします。なおリブログはご自由に】
では、お元気で。
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