スルモーナ美術・博物館のつづき……去年の8月以来ですけど

紀元前からローマ支配下の町として栄えていたスルモーナ。
しかも廃れることなくずっと一定の文化度が保たれていたようです。
共和制、帝政ローマを経て中世に入ると、
今度はローマ教皇庁の影響下に置かれたらしく、
だから教会の数が多いのだなぁとナットクしました。
こちらの美術・博物館にも
教会にあったけど保存のためこちらに移動、
展示してるものがたくさんあり興味深かったです。
ってか、この美術・博物館、ホントにオススメ

歴史と文化の両面にわたる遺跡、発掘品、美術品を
全部1か所で観ることができるから



1930年代の始めに旧市街のほぼ中央に位置する、
アヌンツィアータ宮殿が市立博物館になりました。
そこで一定の熱量を持って収集されていて、
目を惹いたのがコチラ。
とても素朴な石の彫刻群です。
最初は単にどこかの教会から持ってきた聖人たちかなと思ったのですけどね。
みーんな同一人物だったのです

ローマ法王チェレスティーノ5世
(サン・ピエトロ・チェレスティーノ)
1210年頃、イゼルニアというモリーゼ州山間部で
貧しい農家の12兄弟の11番目の子として生まれる。
20歳のとき修道生活にあこがれ、
カンパーニャ州ヴェネベントにあるべネディクト会に入る。

ところがその数年後、物足りなった修道院生活を捨て、
アブルッツォ州マイエラ山脈のなかで隠者生活を送る。
スルモーナはマイエラのふもとにあるのでゆかりが深いのですね。
さて、その厳しい修行や彼の謙虚な人柄が評価され、
1237年、ローマ教皇庁に招かれ司祭に叙される。
でも教皇庁にとどまらず、
今度はモローネという場所に移りさらに修行を積むことに。
1294年7月、第192代ローマ教皇に選出されました。
まったくヤル気はなかったのに、
政治的に利用され、半ばつなぎ役としての抜擢だったらしい。
そのせいか彼はローマには行かず、
そのまま修道生活を送っていたモローネにとどまっていたそうです。
そして同年12月に自ら教皇の座から降ります。
というわけで彼が教皇の位にあったのは半年足らず

最初からやりたくなかったのでしょうね。
教皇とか司教とかには興味はなく、
ただひたすらイエス・キリストの教えを守り生きていきたかっただけ。
そんなところが未だに彼の出身地周辺の人々から愛されている理由かも。
素朴な人柄は石彫りの彫刻のほうによく表れているように思います。
すっかり心惹かれて、私もファンになっちゃいました

モローネ修道院から移動させた絵画は16世紀に描かれたもの。
右がチェレスティーノ5世ですけど、
石造りの素朴なお顔と比べてずいぶんイケメンな感じになってます。
亡くなってずいぶん経ってからなので美化されたのかしらん。。。
ところでチェレスティーノ5世のあとローマ教皇になったのは、
ローマの名門貴族カエータニ家出身、ボニファティウス8世。
半年待って満を持してコンクラーヴェに挑んだのですかねぇ。
カエターニ家、どこかで聴いたことがあると思ったら……
ニンファ庭園とつながりました
チェレスティーノ5世とは真反対の性格で
貴族出身らしく傲慢で現実主義的なところがあり、
なんと最後の審判を信じていなかったそうです

最終的にはアナーニ事件が起こり、
対立していたコロンナ家とフランスから退位を迫られる。
法衣と法王の三重冠を奪われるという屈辱に見舞われ、
救出されはしたものの、そのすぐあとに憤死しました。
在位9年。

サン・パオロ。
言わずと知れた新約聖書の著者のひとり。
聖書を持ってます。

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