二年半ぶりのブログ更新です。
前回ブログを更新してからひと月後に転倒して右鎖骨を骨折。手術・入院・リハビリ後に完治。
入院中に受けていたリハビリと筋トレとストレッチが日課なったお陰で、骨折前より心身ともに健やかな感じです。
愛猫のサリーは一昨年6月に老衰で天国に旅立ちました。翌日庭にお墓を造って埋葬した日の夜、一匹の蛍が玄関の窓に光って姿を現わしました。
去年の春からキジトラ猫のまり(二歳、メス)を家族に迎えました。まりはサリーとは全然性格が違って、完全家猫です。
二歳になっても子猫のようなかわいらしさです。
まりを飼い始めた頃からキジトラ猫(二歳。オス)がちょくちょく遊びにやってくるようになりました。自由気ままな猫で、朝必ずわが家のベランダで朝ご飯を待っています。マロンと呼んでいます。
去年から新たな気持ちで猫ライフを楽しんでいます。
おてんばざかりのまりでーす。
ブログしんまいでーす。よろしくおねがいしまーす。
かじってあーそぼ。
すきなばしょ。
にー。
マロンでーす。
朝ごはんまだかにゃ~。
いつもあさごはんをくれるさやかねーちゃんのせいとさんのRia(安達莉愛)さんがアイリッシュハープのコンクールでゆうしょうしました。にゃお!!
☆☆☆☆☆ はりいのコーナー ☆☆☆☆☆
10月1日は宗像大社 秋季大祭「みあれ祭」ですね。
堀田はりい著『神宿る沖ノ島』で解説しています。「御長手神事とみあれ祭」より転載しますね。
©堀田はりい(Harry Hotta)
毎年10月1日に、宗像大社では海上安全や大漁など願って『みあれ祭』が行われています。その内容は、辺津宮に祀られている市杵島姫神(いちきしまひめ)が、姉にあたる田心姫神(たごりひめ)と湍津姫神(たぎつひめ)を迎えるもので、海上では宗像三女神それぞれの御輿を載せた三隻の御座船(ござぶね)が宗像七浦(ななうら)の船団に供奉(ぐぶ)されて、海上を巡行する大規模な海上神幸行事です。
『神宿る沖ノ島』の表紙(みあれ祭)の元絵。絵は梅田紀代志。
『みあれ』は『御生れ』で、神さまの出現の意を持つ語で、『みあれ祭』はその語をそのまま祭りの名にした祭りです。同じ語を祭りの名にした祭りとしては、京都・上賀茂神社の『御阿礼神事(みあれしんじ)』が有名です。
宗像大社の『みあれ祭』は、中世まで年に4回行われていた『御長手神事(みながてしんじ)』の古儀を整えて、昭和37年に復興した秋祭りです。当時、小野権宮司の復興計画案について、関係漁業協同組合も賛成で、初回から好スタートをきることができたのだそうです。
元になった『御長手神事』とはどんな神事だったのでしょうか?
『宗像大菩薩御縁起』に記された「神功皇后の三韓征伐に際し、宗大臣(宗像神)が「御手長(みてなが)」という旗竿に武内宿禰が織った紅白二本の旗をつけ、これを上げ下げして敵を翻弄し、最後に息御嶋(沖ノ島)に立てた」との伝承に始まります。
「御手長」は「御手長」という旗竿のことで、「異国征伐の旗竿」のことです。神功皇后に従った宗像氏が、壱岐国の海人と連繋して、その海人の先導によって功を輝かしたので、凱旋後、北九州に定住する際、その「手長の神」を宗像に祀ったとされています。
壱岐の島に天手長男神社(あめのたながおじんじゃ)・天手長比売神社(あめのたながひめじんじゃ)があります。「手長の神」は、その二社に鎮座する神さまと考えられ、つまり、そうであるなら、沖ノ島に立てた紅白二本の旗は、壱岐国の「手長の神」が依り憑く「御手長の旗竿の旗」で、「異国征伐の旗」ということになります。
紅白二本の旗を織ったとされる武内宿禰を祀る宗像五社のひとつの宗像市鐘崎の織幡神社の由来について、『筑前国続風土記』によれば、社記に「武内大臣(武内宿禰)が沓(くつ)を脱いで昇天した霊地に武内大臣を主神とする織幡神社を設け、(壱岐氏の)壹岐眞根子臣(いきまねこのおみ) の子孫が代々司祭した」と記され、『宗像大菩薩御縁起』によれば、「金崎(鐘崎)の織幡大明神は武内大臣の霊神で、織幡大明神が紅白二本の旗を宗大臣の御手長の旗竿に付けた」とされています。
《中略》
『宗像大菩薩御縁起』は「宗像大菩薩(=宗像神)こそが最強の国防・海防の神」と記しています。沖ノ島は平安時代以降、国家鎮護・異国征伐を祈願する国家的祭場でした。『御長手神事』は、年に四回、沖ノ島から宗像三女神を三神一体として遷座し、日々の祭祀が行われる辺津宮(三宮の総社)で祀ることで、国家鎮護・異国征伐の霊験に威を持たせる神事だったのです。
現在、御座船 には「国家鎮護 宗像大社」の大幟(おおのぼり)が立っています。『御長手神事』の時代の祈願が、大幟(御手長の旗竿の旗?)に書き記されています。
昭和の時代に『みあれ祭』と名を変えて復興した『御長手神事』は、毎年秋に、宗像大社の秋季大祭の幕開けの勇壮な神事として、盛大に開かれています。宗像三女神への信仰は、今日、『みあれ祭』として、宗像大社の神官と宗像の漁師との協同で受け継がれ、神事のたびに三女神の霊験の威を高め、今の時代の人気の祭りとして、新たな神事の道を航進しているのです。
神宿る島「沖ノ島」の沖津宮(おきつみや)、筑前大島の中津宮(なかつみや)、宗像市田島の辺津宮(へつみや)の宗像大社三社に祀られる宗像三女神が、身分の上下に関わりなく、日本人に海上・交通安全の神さまとして尊崇され、親しまれてきたのは、『日本書紀』が記すところの「道中」あるいは「北海道中」、つまり、沖ノ島の場合、朝鮮半島や大陸との通交路上の島に祀られる神さまであることに他ならないと考えられるのです。それは長い間、国防の神さまでもあった所以でもあるのです。
学術書 堀田はりい著「神宿る沖ノ島~古代日本人が見えてくる」(右文書院。2018年)
メルカリ
右文書院
『神宿る沖ノ島』は宗像観光協会取扱商品として道の駅むなかた. に 9 月新規オープンした FROWER&CRAFT「higoro」でも販売されています。
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学術書 「卑弥呼の時代-絵画で旅する倭人伝」(右文書院。2021年)
文・堀田はりい 画・梅田紀代志
B5判・104頁・オールカラー
(本体2200円【税込み2420円】)
学術書 堀田はりい著「古代天皇誕生記~こうして天皇の国は生まれた」(右文書院。2019年)
長編歴史ファンタジー小説 堀田はりい著「東遊伝~鷹王と八百万の神々」(梓書院。2012年)
ケルト、モンゴル、韓国、日本の神話、伝説、歴史、民俗学などをもとに、古代人の感性と目線に立って創作した「ハリー・ポッター」的に、或いは、「西遊記」以上に壮大な、日本人の遠い記憶を呼び覚ます不思議物語。そのスケールは、愉快な神々をも巻き込み、時空を超え、汎ユーラシア。
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はらっぱのねこぐさおいしいにゃ~。