”愛され美人風オーラ”ができるまで 20 | 35歳過ぎからの恋愛指南書♡〜愛され美人風オーラの作り方〜

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愛され美人風オーラのまとい方、
コンサルタントの北見由美です。


今日も、私のブログに
お立ち寄りくださり、
ありがとうございます^^

 

【まとめ記事①】”愛され美人風オーラ”ができるまで 

「幼少期〜小学校時代編」

 

17 "愛され美人風オーラ"ができるまで 16

18  ”愛され美人風オーラ”ができるまで 17

19  "愛され美人風オーラ"ができるまで 18

20  ”愛され美人風オーラ”ができるまで 19

 

(ここからの続きです。)

 

荒れていた中2のクラスから

中3になってのクラスは、

少し受験の色も見え隠れしてきたからか…

授業がボイコットされることも

なくなっていた。

 

 

比較的平和な日々だったけど、

 

ここでまた、新たなモヤモヤが・・・

 

思春期特有の親との確執です。

 

わたしは自分でいうのもなんですが、

わりと、いい子にしていた方だと思います。

 

お勉強もきちんとする方でしたし、

習い事も全て途中でほっぽり出したり

しなかったですし・・・

 

親から言われることは大抵守ってきたし、

怒られたとしたら・・・

 

母とお買い物に出かけて

どうしても欲しいものがあって、

ちょっとごねて買ってもらったとする。

 

 

うちに帰って、母が父に言って、

ひどく怒られたり・・・

 

よーくよーく考えると

物欲は小さな頃からあったかもしれませんね。

(散財よくします^^)

 

だから、わたしは

父に”由美は、欲なおなごや”と

よく言われてました。

 

”おなご”という言葉が

見下しているように聞こえて、

わたしは拒否反応を、小さい頃からしていました。

 

”女の子”のことを”おなごのこぉ”という言い方も、

なんとなく嫌いでしたね。

 

ただの方言かもしれませんが、

やや男尊女卑を感じてしまうのは

わたしだけでしょうか・・・

 

父は、終戦を小1で迎えている人だったので、

本当に小さい時に物のない時代を過ごしています。

 

戦争に対して、いつまでも

恨んでいるところがありました。

 

その経験が強烈だったのでしょうけど、

戦争体験をいつもいつも語る人でした。

 

 

自分はいつもお腹を空かせて、

贅沢などできず、6人兄弟の四男のため、

おばあちゃん(父の母親)からの愛情が薄かったようで、

子供のいない親戚のうちに里子にも

出されそうになったけど、1日で帰ってきたとか・・・

 

たかが、20年余りで日本は急成長を遂げ、

自分の娘は、お腹いっぱいご飯を食べて、

甘いおやつだって普通に食べて、

(父は甘いものが大好きでした。)

 

学習机があって、勉強して

それが、当たり前のようになっている。

 

それに対して、嫉妬のようなものがあったようだ。

 

 

父の地雷を踏むのは、大抵2つに決まっていた。

 

 

それは、幼少の頃、

夜わたしが”お腹すいた”と言うと

 

その”お腹空いた”の言葉が嫌いなのか・・・

必要以上に怒られた。

 

お母さんが何か見繕ってもってきてくれて

食べていると、

食べ終わるまで、小言を言われる。

 

わたしはわたしで、

なんでこんなことで、怒るんやろ

意味わからんと思っていた。

 

 

もう一つは、中学になって

遅くまで勉強していると、

 

”はよ、ねぇ”

(早く寝なさい)

と言われて、ばちんと電気を消されていた。

 

 

中学に入り、成績は上位10%をキープしていたけれど、

それに対して、褒めれた記憶がほぼない。

 

 

父は、自分が中卒であるため、オンナがそんなに

勉強してどうするという気持ちがあったようだ。

 

これも、嫉妬ですね。

 

子供の頃って、

 

親に褒められたいがために

勉強を頑張るってこともあるけれど、

 

それは、小学校の時までで、

中学で、わたしの成績がよくなってくると、

なんだかほとんど褒めてもらえなくなってきた。

 

母も自分の範疇(希望)よりもわたしの

成績が伸びたため

対応ができなくなっていた。

 

きっと、中の上くらいの成績でいて、

近くの商業高校を出て、

地方の信用金庫の事務員にでもなってくれたら

と思っていたに違いない。

 

 

 

こんな頑張っているのに、

なんで、褒めてくれんのやろ

 

 

って、意味不明やわ と、

 

 

わたしはちょいモヤモヤしてたけど、

 

 

それよりも、

わたしは器量はよくないから、

 

ちょっとでも、賢い方が

お嫁にいけるわなぁ

 

ほんだけん。

一校(わたしの母校)いかんと。

 

そんな理由で、コツコツお勉強は続けた 笑

 

わたしは、ちょっと人とは違う理由で

お勉強をしていたとも言える。

 

 

 

 

こんな不純な動機だから、

わたしは、高校に入学する共に

すっかり目標がなくなり、

 

 

さらに、父は、

 

”わしは、ひとりもんの方がよかった”

 

と何度もわたしや妹の前で言っていた・・・

 

 

 

”ほんだら、結婚しなければよかったやん”

 

”子供なんか、作らんかったらよかったやん”

 

”あたしら、おらんかったら、

もっとお父さんは自由で楽しかったんやな”

 

 

そう思うと、生まれてきたことにすら

疑問を覚えた。

 

 

(父は、正直すぎるとこがあって、

子供たちにも本心を言ってしまうところが

あったのかもしれないと今では、思えるけれど、

その当時は、とんでもないって思っていた。

なぜ、この親の元に生まれたのだろうとも

思っていたww)

 

 

 

こういうことを、娘に平気で言ってしまう

父への反発もあって、

 

高校に入ってからは、

全く勉強をしない子になってしまうのです…

 




(つづく)

 

*・゜゚・*:.。..。.:*・'・*:.。. .。.:*・゜゚・**・゜*:.。..。.:*・'・

 

頑張らなくても、ムリしなくても、

自然と ”えこひいき”されてしまう

〜愛され美人風オーラのまとい方〜

コンサルタント♡北見由美

 

 

 

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